名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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98年札幌王者・マイネルプラチナムが逝く
年明けからの体調不良。

背筋痛と思っていたのですが、内臓から来てる痛みと判明…

いつも見に来ていただいている方には申し訳ありませんが、暫くは更新頻度を落とします…



平成23年度のBTC助成馬一覧が12日に掲載されました。

ここに載るイコール繁殖引退を意味していますが、フサイチソニック、シルクジャスティス、スエヒロコマンダーあたりが種牡馬引退となったようです。

また我が愛する南関東の雄たち、コンサートボーイにマキバスナイパーもリスト入りしていました。

第二の馬生として血を残す役割は終わりましたが、幸せな余生を過ごしてもらいたいと思います。

またBTC助成馬は基本展示が義務化されていますので、比較的気軽に会える馬ということにもなります。

全国広く散っていますが、お近くにお寄りの際には是非立ち寄るのも手だと思います。

(勿論牧場によってアポが必要だったり、見学時間も異なりますからそれはふるさと案内所で事前に問い合わせて下さい)



このリストの最後に対象から外れた馬のリストも出るのですが、そこを見たところ1/11にマイネルプラチナムの死亡が記されていました。

世紀末の覇王・テイエムオペラオー世代の札幌王者。

札幌3歳S後骨折が判明。

それでも何とかクラシック前の若葉Sに間に合い、そこで見せた剛脚は、この年のクラシック戦線の主役を務める可能性に溢れるものでした。

だが皐月賞では2走ボケともちょっと違うようなかかりまくりの暴走で惨敗し、ダービーを目指した調教中に再度の骨折しクラシックを断念。

再復帰後も剛脚は甦ることもないまま引退。

生まれ故郷の小野瀬牧場にて種牡馬入り後も、残念ながら中央の勝ち馬を輩出することすら叶わず2007年で種牡馬引退し余生を過ごしていました。

現役時代注目していた一頭だっただけに若過ぎる死がとても残念でなりません…





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カリブソング~条件不問の千両役者
年末に崩した体調がいまいち戻りきらぬまま三が日も明けてしまいました…

というわけで2011年は未だ一歩たりとも外出をしていません。

外出しないとなると正月を感じる手段はテレビくらいしかないのですけど、どこの放送局も元旦を除くとどうにもこうにも再放送番組ばかりの手抜き構成ばかり、しかも一日中やってやがるせいか正月風情を感じられないどころか時間の感覚までおかしくなる始末…

地デジ元年で張り切らなきゃいけないはずのテレビまでがこれでは今年の日本もダメ菅、もといダメ感がありますね。

せめて金杯でも獲っていい気分と行きたいところなんですけど、とりあえず明日も購入予定はなし…

金杯というレースは競馬界の仕事初めみたいなもので1/5固定の開催。

即ち平日に行われることが多いということで勤め人には普通なかなか縁のないレースなんですよね。

ただ私の若い頃はフレックスタイムなんて制度が流行っていたり、その後転職した会社はウインズまで徒歩2分、その会社にいる頃から高申込倍率だったはずのPATがほぼ誰でも無抽選状態で加入可になったってことで、昔から馬券の購入そのものには困ったことはありませんでしたね。

とはいえあまりリアルタイムで見たことがないレースの一つなのは間違いありません。

ということで普段はそのレースが一番印象に残る馬を取り上げることが多いのですけど、今日は金杯の勝ち馬を見渡してみて書いてみたいなと思った馬からカリブソングをチョイスしてみました。



カリブソングは1986年生まれ。

恐らく我々世代にとってはGⅠを取れなかった馬以外で思い出の馬を挙げろと言われたらBEST10くらいに入ってくる印象がある。

何しろ当時の年齢表記で9歳、現表記で8歳まで息長く重賞を中心に走っていた馬。(以下現年齢表記)

父マルゼンスキーはご存知「大外でもいいからダービーを走らせろ」で有名なマル外馬。

実際日本調教馬なので現在なら持ち込み扱いでクラシック出走は可能でしたから制度ともし故障していなければという“Wたられば”の菊花賞はともかくとしてダービーまでの2冠は間違いなかった快速馬である。

無念の引退後繁殖生活においてもダービー馬サクラチヨノオーなど5頭の中央GⅠ馬を輩出し大成功を収めている。

ただマルゼンスキー産駒はどうしても体質や脚元の弱さが付き纏うイメージは拭えないものがあった。

そこへ行くとカリブソングはその晩節はともかくとして、競走馬として長く走った印象から“鉄の馬”とか“無事是名馬”などと語られる。

果たしてそうだったのだろうか?

答えは否であると管理人は思っている。

それを裏付けるにはカリブソングの出走記録を見るだけでも明白である。

カリブソングは必ずといっていいほど一年の半分は休養に充てて、出走時も無理なローテーションを強いることは一切なかったのである。

事実この馬を管理していた加藤修甫調教師はカリブソングの四肢は全て競走馬不治の病・屈腱炎を抱えながらの競走生活だったと後に語っている。

カリブソングもまたマルゼンスキー産駒の特徴である体質と脚元の弱さを抱えていた馬であり、そんな馬がさも頑健な馬の代表のように語られる理由こそ、この馬に関わった全ての人達の努力の賜物であったはずなのだ。



そんなカリブソングの競走成績を振り返っておこう。

2~3歳春はまだ実がパンと入ってなかったようで折り返しの新馬を勝利したのみ。

3歳秋に復帰後はダート路線に進み、4歳春にダート重賞であるフェブラリーハンデ(もうこのレース名表記だけで泣けてきそう)で重賞初制覇を果たす。

また休養を挟んだ4歳秋にダート3戦で1,1,2着と力を見せた後、5歳を迎えたカリブソング陣営は芝路線へ矛先を向ける。

カリブソングはいきなり金杯(東)を制し、AJCCでも2着する。

次走目黒記念では何と60.5kgの酷量を背負わされるが、これをものともせず勝利する。

60kg以上のいわゆる酷量をクリアして重賞を勝った馬というのは私が馬券を買うようになってから思いつくままに挙げてみてもナリタトップロード、ダイタクヘリオス、スルーオダイナ、ダイナレター、そしてこの馬くらいしか思いつかない。(牝馬の58kgは牡馬で60kg相当とされドーベルとかヌエボトウショウが勝っていると思うのですが数字上のインパクト的に薄いため除外)

体質そのものがパンとしたことを証明する一走だったであろう。

続く日経賞でも2着し、淀の盾でGⅠ初挑戦を果たすが距離不適で大敗を喫し、そのまま休養に入る。

秋に復帰すると2度目のGⅠ挑戦となる天皇賞秋でマックイーンの降着と得意の重馬場にも助けられたが2着に入った。

だが良馬場で行われたJC,有馬は2桁着順の大敗。

ここらで芝のGⅠ路線ではタイム不足という評価が定まってしまうのである。

しかも一旦60.5kgで勝った実績があるため以降もGⅡ以下では重い斤量を背負い続けて走らねばならず、まさしくここからは年齢的な衰えと斤量、そして強いとはいえない脚元と相談しながらの戦いとなった。

5歳春の日経賞から7歳春までの2年間は得意の重馬場や坂のあり時計が掛かる中山では連対を果たすことはあっても、勝利の美酒に酔うことはなかった。



GⅠ勝利のないカリブソングがこのままで種牡馬になることは難しかった。

陣営は8歳の春まで1年の休養を取らせ、定量で争われる地方交流を主戦場にした。

既に老雄と呼ばれる年齢であった8歳にして初めての夏競馬。

カリブソングにとっては裸同然の斤量でも4戦結果は出せず、既に最後の勝利から22連敗。

カリブソングも終わったと誰もが思っていた。

だが老雄の逆襲は全く以って唐突にやってきた。

舞台は旭川ダ2400mで争われたブリーダーズGC。

砂の経験も長丁場の経験も十分の老雄はその能力を久々に発揮し先頭で復活の狼煙を上げたのであった。



だがカリブソングの名前を馬柱で見たのはこのレースが最後になった。



94年10月20日、アルゼンチン共和国杯を目指した調教中に心臓マヒを起こしたカリブソング…

天上までの道程は究極の坂であり、水分も豊富に含んでいたのであろう…

こんな時に限ってカリブソングは今迄に見せたことのない脚を使ってあっという間に駆け上がって逝ってしまった…



思えば名脇役に終わった馬生だったのかもしれない…

しかし人馬一体となった苦労と努力の結晶であったカリブソング…

そんな裏側を一切匂わせず、ファンにイメージを取り違いさせたままの終幕は名脇役どころか千両役者のそれだったのではなかろうか?…





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サンエイサンキュー~It or She?
She is a horse.

中学校の英語テストでこう書いたらベケを貰うんだろうね。

It is a horse.

これなら正解かな?

確かに授業で動物には"It"を使うと教わった。

でもあれから20年経った今、管理人は堂々と"She"を使いたい。

20年程前、彼女に起こった命との戦いを思い出して…



サンエイサンキュー



父・ダイナサンキューは正直関東では馴染みがない。

1986年のデイリー杯を含めた3戦を全て完勝したものの、脚部不安を発症し底を見せないまま引退→種牡馬入りした。

その初年度産駒の中に小柄な芦毛の大人しい牝馬がいた。

この馬が生を受けた89年の前年、タマモクロス、オグリキャップによるいわゆる芦毛伝説の伝道馬達の活躍がありそれまで生産地に根強くあった芦毛は体質が弱く走らないというイメージは払拭されつつあったものの、若駒らしいヤンチャさがなく、むしろもっさりとした動きしかしなかったその馬は以前の悪い芦毛馬のイメージに取られても仕方なく期待されるわけもなかった。

だが1991年夏の札幌でデビューを迎えたサンキューは初戦こそ敗れたものの、連闘で臨んだ2戦目では後にダービーに歩を進めるゴールデンゼウス(もっともゼウスもこの時は人気薄)に5馬身差の圧勝をする。

さらにまさかの3連闘で札幌3歳ステークスにも出走するがニシノフラワーに圧倒され14頭立ての13着と大敗を喫する。

函館へ転戦するがクローバー賞も大敗し、2戦連続で大敗を喫した徳吉から東に鞍上をチェンジし出走した函館3歳ステークスでは14頭中12番目の人気にしか過ぎなかった。

だがこの日は天候こそ晴れだが前日降り続いた雨のため不良馬場。

後にわかることだが、実はこの馬、不良馬場に対する適正が非常に高かった。

持ち前の勝負根性ともっさりとした気性、いやここは大らかに周りの変化を気にしない大人びた気性と言っておくべきだろうか?これも悪馬場をクリアさせる後押しになったのだろう。

サンエイサンキューは2着に入線した。

ちなみにこの日中山で行われたセントライト記念で8枠レオダーバンが単枠指定されていたのだが、これがJRA最後の単枠指定馬。

裏開催に当たる函館開催では試験的に馬番連勝馬券を発売しており、函館3歳Sは枠連2060円に対し馬連は17100円ついた。

サンエイサンキューはJRA初の馬連万馬券の片棒を担いだ馬である。



北海道で5戦し、重賞2着で賞金を上積みしたこともあり、一息入れるのではないかと思われたサンキューだが雨馬場の府中に参戦し、マチカネタンホイザ、スタントマンなどをなで斬りにし、事実上の新設であるリニューアルされた3歳牝馬最強決定戦・阪神3歳牝馬ステークスへ向かう。

前走が評価され3番人気の支持を集めたサンキュー。

とはいえ西の雄・ニシノフラワーに挑む東のエースは藤澤厩舎のマル外・シンコウラブリイと見られていた。

だが本格化の気配を見せていたサンキューはラブリィとほぼ同じ位置からレースを進めると、早めに進出したフラワーを含めた3頭での壮絶な叩き合いを見せ、この2強に割って入ったのだった。



明け4歳を迎え賞金面で全く不安はないが、サンキューはクイーンステークスに出走し、快勝。

これで桜花賞直行かと思われたがなぜか牡馬相手の弥生賞へ出走。

この辺りからサンエイサンキューがデビューから全く休みなく使われているローテーションへの疑問が一部から湧いて来る。

弥生賞、桜花賞と掲示板を外す敗戦を喫すると、オークスに向け鞍上を東から田原に交代する。

ここまで来ると管理人もちょっとこのオーナーに守銭奴的な匂いを感じ始めた。

だが府中での良績に加え、鞍上田原もまだ天才と謳われていた時期で、いい感じに人気を落としていたサンキューはオークスで狙い目だと確信したまだ“馬券ファン”だった管理人はマイラーが人気となっている感が強かったこのオークスでサンエイサンキューから勝負することにした。

サンキューはイメチェンしたかのような後方待機から見事な末脚を炸裂させ、2着に入線。

アドラーブルとの馬連は10000円を300円程オーバーする万馬券となり、管理人初のGⅠ万馬券ゲットとなったのである。



万馬券を取らせてもらった馬って普通はその後応援する人が多いと思います。

だが管理人はそうなりませんでした。

札幌記念にサンキューが出走すると聞いてマジ?と思いました。

実際こういうローテーションで出走する馬はいるでしょう。

でもそれは一線級で戦っていない馬の場合だと思います。

サンキューは常に世代の最前線として戦ってきました。

既に社会人になっていた管理人はこの頃一番競馬雑誌や書籍を読み漁りテンポイントやキーストンの悲劇やらに詳しくなった頃、さらにサンキューが出てくる数年前にブームになったダービースタリオンという今なら誰でも知っているゲームが発売され、ちょっと過酷なローテーションを課すと悲しい音楽と共に予後不良の文字が躍るのを見ていたことなどから生じた他愛ない疑問でした。

札幌記念優勝、函館記念8着、サファイヤステークス優勝、ローズステークス2着。

この後エリザベス女王杯までの間に、オーナー、厩舎、そして田原騎手とサンケイスポーツの水戸、片山記者を交えた論争が発生します。

俗に言うサンエイサンキュー事件というヤツです。

詳しいことは他をググって貰えばわかるので省略しますけど、とにかくローテーションへの疑問を投げ掛けた田原の記事に水戸記者が絡み、その水戸の記事を批判した同僚の片山記者がサンスポを追われる事態となったのです。



エリザベス女王杯で5着に敗れたサンエイサンキューはオーナーの鶴の一声で運命の有馬記念に向かいます。

一石を投じた田原騎手から加藤和宏騎手に乗り代わりとなるのは最早必然でした。

後にこの時点で既に担当助手はサンキューのトウ骨は悲鳴を上げていたと証言しています。

それでも有馬記念への出走方針に変更はありませんでした。

中山の最後の直線までサンキューは頑張りました。

サンキュー自身はまだ頑張りたかったのでしょう。

でも脚は持ちませんでした。

競走中止…



予後不良の診断が下る程の重症でした。

でもサンキューはオーナーの要望により延命治療が施されることになります。

結局骨折から約10ヶ月後、サンキューは心臓麻痺で逝きました…



当時もう何だか訳がわかりませんでした。

私は本サイトのテンポイントの項でも書きましたが、馬の安楽死肯定派です。

生命を奪う行為を肯定するとは何事かと思う方もいるでしょうが、人間より細い脚で500kgもの馬体を支えるサラブレッドに地獄の苦しみを味わわせるよりもという感情が先に立ちます。

正確に言うとこのサンエイサンキューの死が尚更そういう思いを強くさせました。

このオーナーさんは未だに「競走馬はビジネス」と公言しているそうです。

つまりサンキューの延命に関しても「ビジネス」と割り切っているんでしょうね。



私が正しいことを言っているとは限りません。

オーナーの言ってること、やってることも間違っていることとは言えません。

田原騎手、水戸記者、片山記者に関しても誰が正しいと言えません。



でも一つだけ言えること。

オーナーにとってサンエイサンキューは

It's a horse.

だったのかなと思います。



そして私にとってのサンエイサンキューは

She is a horse.

なのです…



だから

Thank you!



Thank it!

なんて口が裂けても言いません…



様々なドラマと感動を生み出してきた有馬記念。

私にとっての有馬記念はこんな悲しい思いも内包していることだけは確かなようです。



今年は素晴らしいドラマが生まれますように…





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シンボリクリエンス~衝撃の50馬身差!
以前競馬評論家のアベコーこと阿部幸太郎氏が中山大障害コースに挑戦したことをブログで取り上げたことがある。→こちら

それが先日日曜の中央競馬ワイド中継終了に伴うリクエスト企画の第一位となり、十何年かぶりにオンエアされた。

やっぱりインパクトあって管理人以外もよく覚えてるんだなと短い1~2分程のダイジェストを懐かしい気分で見ました。

日曜の当ブログ訪問者がどんな検索キーワードで来たかを調べてみたらこの関連が結構多かったし、それなりに反響があったぽいですね。



というわけで最終週の世間注目の一戦・有馬記念の前に今日は中山大障害の話題。

言わずと知れた障害最高峰のレース。

1998年迄は春秋年2回行われていたが、春が国際レースの中山グランドジャンプとして生まれ変わったため現在は年に1回となった。



かつての天皇賞同様に過去の勝利馬が再出走を認められていない時期もあったが、戦後になりそれが認められたため、数多くの連覇を果たした名ジャンパーが存在する。

平場にしか興味がない人でも聞いたことがある名ジャンパーといえばやはりグランドマーチスの名前が挙がるであろう。

障害馬唯一の顕彰馬であり中山大障害4勝を数える。

このグランドマーチスの4度目の優勝時の2着だったバローネターフは古馬になってから連覇→2着→3連覇とマーチスを超えるV5を達成している。

他に3勝以上を達成している馬には管理人でも良く覚えている1996年~97年のポレールがいる。

しかし大障害好きを公言している管理人の頭に最も焼き付く中山大障害馬は1992年の春秋連覇を果たしたシンボリクリエンスである。

決してクリ“スエ”スではない、クリ“エン”スです。



シンボリクリエンスは父モガミ、母父パーソロンと20年程前のファンなら誰もが9割方シンボリの馬、もし違えばメジロかなと思い付く血統。

平地でも期待され、事実新馬戦では1番人気に支持され中山ダ1800mの舞台で3馬身差の快勝を演じた。

その後も芝で2勝を上積みしたが、やや頭打ちの印象があった。



モガミ産駒はシリウスシンボリやメジロラモーヌに代表されるように溢れんばかりのスタミナと勝負根性を武器とし中距離以上を得意とする産駒が多かったが、その反面気性難が邪魔して出世を妨げる産駒も決して少なくなかった。

そんな馬が、豊富なスタミナを生かしジャンパーとして再起を図ることが多々見られ、数多くの成功例を出した。

モガミの主生産は共同購入したシンボリ牧場とメジロ牧場がメイン、言い換えるとシンボリ冠とメジロ冠がこの後暫く障害界を席巻するのである。

クリエンスはそのはしりとなる一頭となった。



障害入り後数戦はモタついたが、ジャンプに慣れてくるに従い、持ち前のスタミナを生かした障害馬としてはケタ違いである平地の脚を武器に徐々に大舞台で大暴れをする。

障害デビューから1年後東京障害特別(春)で重賞初制覇を果たす。

秋にも府中の直線で同じモガミ産駒のメジログッデンとの叩き合いを制し、東京障害特別春秋連覇を果たす。

暮れの中山大障害はやはりモガミ産駒の同じシンボリ牧場産・シンボリモントルーの後塵は拝したが、その翌年に更なる驚愕の走りを見せる。



1992年4月に行われた中山大障害(春)は8頭立てで行われた。

前年秋の勝者、シンボリモントルーが1番人気に推され、以下ワカダイショウ、クリエンスが人気となったが、3頭のオッズはコンマ3の中に凝縮されておりを含め殆ど差はない。

このレースは8頭中4頭が落馬という波乱のレースであったが、クリエンスは逃げたディビーグローをレース中盤で交わしてハナに立つと、後は一人旅。

大逃げという言葉があるが、このクリエンスの逃げは全く相応しい言葉ではなかった。

「付き合ってられないよ!」

一頭別次元でスイスイと他を引き離して、そのままゴールまで差を広げる一方のレースとなった。

結局2着シンボリモントルーとの差はなんと8.6秒。

着差表示では大差ということになるが、算出上は約50馬身差ということになる。

これは現在に至るまでまともに行われたレースでの最大の着差である。(記録上はやはり障害戦で1頭のみ落馬なくゴール、2着馬が落馬後再騎乗でゴールし、結果1分以上の大差がついたレースが存在する)

シンボリクリエンスと後続の馬を撮ろうと目一杯カメラを引いたモニター画像の虚しいこと…

海外ではセクレタリアトやマンノウォーなど伝説的な大差勝利がある。

日本でもマルゼンスキーの朝日杯における2.2秒差の圧勝などもあるが、実際にここまでの大差をリアルタイムで観戦したのは当然初めてで、見たこともない映像がシンボリクリエンスの名前とともに鮮烈な記憶として脳裏に深く焼き付いたことだけは間違いなかった。



この年の暮れ、中山大障害(秋)も勝ち、中山大障害同一年連覇の偉業を達成し92年の最優秀障害馬に選ばれたクリエンスは翌年の中山大障害・春を最後に引退し、引退後は馬事公苑で競技馬として余生を過ごした。




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マイネピクシー~注目されなかったもう一頭の“M”
今週、来週と阪神と中山を舞台にそれぞれ牝・牡それぞれの2歳王者決定戦が行われます。

現在の牡牝王者を決定するスタイルになってから今年で節目の20年目を迎えるわけだが、何となく年度代表馬の若駒部門を決め易くしただけの印象があるんですよね。

管理人の個人的な好みは90年迄行われていた東西王者決定戦スタイルでした。

まぁ今のように馬券が全国どこでも全レース購入出来るようになり、条件戦はおろかうっかりすると未勝利から遠征が当たり前になっている時代ですからそういう形でやることに意味がないのは理解できます。

でもクラシック直前のトライアル辺りから、東西トップが初激突となるってあの時代もなかなかワクワクしたものです。

この91年からはワクワクせずにウマウマするようになったんですよねぇ…

そう、馬番連勝複式が導入され、枠連から馬連が主流になった年と一致するわけです。(ツマラン

これに伴い単枠指定がなくなったのですから、競馬史の中ではエポックメイキング的な改革だったんですよねぇ。

そして阪神3歳牝馬ステークスの歴史の中にこの馬連の破壊力を見せ付けたレースがありました。



1992年…

宮沢りえ、牧瀬里穂、観月ありさという若手女優達。

映画、ドラマの主役を務め、さらに歌手として歌も出し人気は絶頂。

そんな彼女達の共通点は全員イニシャルがM。

彼女達は“3M”と呼ばれ一括りにされていた。

その一角であり少なくとも知名度に関しては一番高かったと思われる宮沢りえが元大関貴ノ花の次男坊で人気絶頂だった関脇貴花田と婚約を発表したのが11月の終り頃。

世間は世紀のカップル誕生と大騒ぎになったことを覚えている方も多かろう。



その翌週に行われた2回目となる阪神3歳牝馬Sでも人気になりそうな馬3頭のイニシャルが全てMだったことを覚えておられるだろうか?

小倉王者のマルカアイリス、函館王者のマザートウショウ、重賞勝ちこそないもののマイネルリマークやガレオンといった評判馬を完封した実績があり京成杯3歳Sでも2着があるマリアキラメキの3頭であった。

宮沢りえ婚約のニュースが直近にあったせいかこの3強を3歳牝馬の3Mという形で取り上げた新聞も多かったはず。

前年の事実上の第1回となるこのレースでも上位人気3頭のニシノフラワー、サンエイサンキュー、シンコウラブリイが順当に3着までを占めたこと、またこの年のレース出走馬がどうも小粒な印象も手伝いこの3頭で決まるだろうという声が大勢であった。

だが、今となって冷静に見つめ直してみるとマルカアイリスとマザートウショウは1200mの王者でマイル戦になった途端に敗北を喫した経験がある。もう一頭のマリアキラメキも鞍上・岡部の起用で過剰に持ち上げられた感もある重賞未勝利馬と考えると波乱の要素は十分あったレースと言えた。



レースは前走逃げられずに敗北を喫したマザートウショウの逃げが予想されたが、大方の予想を裏切りプランタンバンブーが逃げる。(ところでこのプランタンバンブーの鞍上樋口騎手って何者だったろうか…ガチで全く記憶にない…)

プランタンバンブーの逃げはタイム的には超スローと形容されるがハロンラップは11秒台~13秒台とめちゃめちゃな乱ペースを強調すべきものだった。

力も経験も備えたとは言えない若駒にとってこの乱ペースはレースをまともに決着させない要素の一つと十分成り得た。

こういうレースになれば、巻き込まれざるを得ない先行勢よりは後方勢有利となり、完成度は勿論だが誰にも負けない強烈な武器を持っている馬かどうかがこのレースの明暗を分けることになる。

このレースを制したのはメンバー随一の決め手を有していた人気薄・9番人気のスエヒロジョウオー。

柴田政人の弟弟子であり、当時伸び盛りで先頃調教師試験に合格した小野次郎騎手の兄弟子、その間に隠れた地味ないぶし銀の存在といえた田面木博公騎手にとって唯一無二のチャンスを渾身の後方待機策から小柄な馬体を踊らせての追い込みでモノにした。

そして2着に来たのはスエヒロジョウオーよりちょっとだけ体重はあったが、人気はさらになかった13番人気のマイネピクシーであった。



このマイネピクシーという馬、早熟ということを割り引いても平成最弱のGⅠ連対馬かもしれない。

新馬戦を6番人気で迎え、前でやり合った人気馬を3番手から交わし初戦勝ちを収めるものの、それ以降4歳一杯で引退するまでの間、この阪神3歳牝馬Sを除くとその前走平場500万で掲示板の隅に載ったのみで負けの殆どが1秒以上の差をつけられて敗れている。

もちろんレースで最速の上がりを見せたこともなければ、先行力を持っていたわけでもない。

ではこの大舞台で何故2着に来たのだろうか?

真っ先に先程述べた乱ペースでレースタイムが平凡はおろか、かなりの低レベル決着になったことが挙げられる。

だがもう一つの要因として忘れてはならないのは、この馬の勝負根性である。

マイネピクシーはタマモクロスの初年度産駒。

タマモクロス最大の武器であった勝負根性は受け継いでいたようで、スエヒロジョウオーの爆発力だけは防げなかったものの、それ以外の馬が後方から来るとそれに併せるかのようにジワジワと伸びを見せて大波乱の主役となった。

そう、このレースでスエヒロジョウオーとの馬連は1207.4倍を示しており、GⅠでは長きに渡り最高配当レースとして記録されることとなったのである。



女優の3Mもレコードを出したがその年大晦日に紅白の舞台に立っていたのはMはMでも全くこの3人とは毛色が違うバラドル・森口博子だった。

そして3歳牝馬の3Mを差し置いてGⅠの舞台で記録と記憶に残ったMは小柄な芦毛の妖精・マイネピクシーだったのである。






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