名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |permalink
末脚三代記 シンザン~ミホシンザン~マイシンザン
高速ターフ全盛の現代競馬では安定した成績を残すためには好位につけて走れる先行が有利だ。

後方からの競馬は派手な反面、高速ターフを利して馬場の良いところを選びながらある程度の上がりタイムで走られてしまうと取りこぼしは少なくない。

豪快な反面リスクの大きい競馬となるが、逃げ馬とは全く違う一瞬に凝縮されたスピード感を味わうことは出来る。

大レースが一般ニュースで取り上げられる時にはほぼスタートとゴール前直線程度しか伝えられない。

昨年までのディープインパクト人気がここまで大きくなった理由の一つにはそういったニュースレベルでも爆発的なスピードが広く一般に映像として伝わったことと無関係ではなかろうと管理人は考える。


後方から鋭く伸びてくる馬を競馬的には切れる馬という。

その伸びが他馬に並ぶ暇を与えないほどの末脚であればカミソリの切れ味なんて表現がされることがある。

脚質なんてものは実際後天的なものであり、その馬の気性やら持ち味やらでどうすべきかが決められる。

だがかつて日本の至宝と呼ばれた血を引く一族が凄まじい破壊力を有した末脚を売りにターフを席巻した。



**********


5冠馬・シンザン

拙文で語れる馬ではない。

競馬評論家、一般のファンから語られ続けた日本競馬の至宝。

クラシック3冠と天皇賞、有馬記念を制し生涯に渡りパーフェクト連対は果たした成績の原動力は、先行している他馬にうめき声も出させないまま切り裂くように抜き去っていく爆発的な末脚。

その末脚を人はカミソリを通り越して“ナタの斬れ味”と評した。


残念ながら管理人はシンザンの現役時代にはまだこの世に生を受けていない。

競馬ファンになって何年もしてから昭和の妙にノスタルジックなモノクロ映像で見たに過ぎない。

VTRが高価で映像を記録とする発想にも乏しい時代だったから、残されている映像もシンザンの残した蹄跡からみればほんの一部で、我々の世代にとってシンザン=ナタの斬れ味というのは実際耳と活字メディアで伝えられてきた部分が大半であることは否定出来ないであろう。

当時馬券が購入出来た世代、還暦近辺の団塊世代以降の者たちにとっては“ナタの斬れ味”と御伽話にそれ程大きな差はないのかもしれない。


**********
繁殖に上がってからもシンザンはその斬れ味を産駒に伝えた大種牡馬であり続けた。
そして種牡馬としての晩年に最良産駒を残していった。



3冠馬・ミホシンザン

至宝・シンザン産駒ということで期待され、父同様に強烈な末脚を武器に無傷のまま皐月賞を制した。

この時点で親子3冠も夢ではなかったはずですが皐月賞後骨折が判明し、それは叶わなかった。

秋に復帰後、菊花賞を制し、5歳時こそ停滞しましたが6歳に最後の花を咲かせ、天皇賞親子制覇を果たす1勝を掴み取った。

この天皇賞後、疲労が激しいミホシンザンを察した主戦・柴田政人の進言により引退することになる。


父のように代名詞にこそなっていませんが、半端ない切れ者だったミホシンザン。

5歳時の停滞もあるが、シンボリルドルフに力の差を見せ付けられた4歳時の有馬記念が…

岡部がムチを入れ唯一ルドルフが全力を見せたレースとして知られていますが、敗者には様々な意味でダメージがあったようだ。


ミホシンザンは繁殖として成功したとは言い難い。

管理人持論として、骨折した馬というのはあまり繁殖で成功するイメージがない。

“痛い”という感情が遺伝子が伝わって産駒が本能的にブレーキをかけてしまうというのは極論だろうか?

トウカイテイオーがいるじゃないかと仰る方もおられるかと思いますが、テイオーもその実績&能力を繁殖成績との天秤に掛けたら決して成功した部類ではないと思う。


**********
ミホシンザン産駒の中に祖父や父と似て異なる何か異質の武器を携えターフを沸かせた一頭の馬がいた。

シンザンのイメージとは全く違うやんちゃな気狂い馬の匂いさえする孫が持っていた武器とは何だったのだろう?



マイシンザン

重賞2勝を制したものの大レースに縁がないまま終わった一般的には二流馬評価が妥当な馬ということになる。

しかし管理人はそう思っていない。


ただ、悲しいことにマイシンザンは全く折り合いが付かない馬だった。

ダービースタリオンみたいな馬ゲームにマイシンザンが出てきたら、気性のパラメータは最低のC…

というかさ気性-(評価不能)ってなってたりしてもいいかもしれない(笑)

暴走気味にかかるのはもはやレース定番。

レース映像見たらマイシンザンを見つけるのは簡単。

騎手の上下動が激しい馬、、、ハイ、マイシンザンで正解です…


だが折り合いがついて…、いや、残念ながらそれは一度たりともなかったので言い換える…

かからずに…、いや、これも見た記憶が…

…とにかくですね、折り合わなさ過ぎず、かかり過ぎず直線に辿り着いた時、マイシンザンは先頭に立つ勢いの馬をロックオンし、捕らえにかかる。

一度ロックオンしたらマイシンザンは捕らえるまで、いや捕らえてからも伸び続けて止まらない馬だった。


管理人は関東なので、初めてマイシンザンの名を目にしたのはシンザン記念だった。

シンザン記念にシンザンの子孫が出てくれば少なからず新聞の格好のネタとなる。

そんな話題性も手伝って新馬勝ち直後の格下ながら2番人気に推されたマイシンザンですがこの祖父の冠レースで大失態のシンガリ負け…

慢性のかかり癖に加えてソエなどでも悩まされていたようですが、それにしてもやらかした印象…


ダート戦を叩いて連闘で臨んだ条件戦において、関東の評判馬であったケイウーマン以下をかかり気味(気味は不要かも)の大捲りを駆使し4歳レコードのオマケ付きで一蹴したマイシンザンだったが、この後一頓挫あり親子三代制覇を賭けた皐月賞へはぶっつけの挑戦となった。

後に平成新三強と呼ばれるビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンはさすがにこの状態のマイシンザンが敵う相手ではなかった。

それでも直線だけで殿から9着まで着順を押し上げたのはさすがだった。


結果的にマイシンザン最大のパフォーマンスとなるのが次走NHK杯。

皐月賞で3着入線するも降着し、この一戦だけの約束で岡部とコンビを組んだガレオンが人気となっていた。

このレースで我々の世代は伝説であり、御伽話でしかなかった“ナタの斬れ味”を実際に目にすることになる。

いわゆるマシな状態のややかかり気味程度ながらレースを中団で進め、直線に向くとそこからは圧巻としかいいようがない内容。

皐月賞降着でダービー権利を失ったことで必勝を期したガレオン&岡部が抵抗すら出来ぬままその爆発的な末脚に飲み込まれた。

結局コンマ6秒差をガレオンにつけレースレコードでの快勝。

日本競馬至宝の血が目覚めたはずだった…


しかし日本ダービーの舞台でマイシンザンは別馬のようだった。

折り合ったといえば言葉はよく聞こえる…

だがあれは違うと確信している…

父ミホシンザンは体質、脚元とも強い馬ではなかった…

マイシンザンにはそれが伝わっていた…

デビューから一頓挫あった皐月賞前の2ヶ月休養はあるが、それを除けば使い詰め…

前走の激走も少なからずダメージが残っているように見えた…

着順だけ見れば5着とまずまずだったが、本来のマイシンザンの体調だったとは思えなかった…

案の定、この後熱発、夏負け、ついには屈腱炎を発症し、長期休養となる…

5歳で復帰したが見せ場もないまま、またも屈腱炎を発症し1年休養…


マイシンザンが復帰したのは95年・6歳秋だった。

朝日チャレンジカップ、この年は阪神淡路大震災で壊滅的被害を受けた阪神競馬場ではなく京都競馬場で行われた。

もはや忘れられた存在になっていたマイシンザンだが、この日のマイシンザンは落ち着きがあった。

レースに入ってもかかり癖は相変わらずだったが以前に比べれば大分マシ。

主戦・松永幹夫が馬に蹴られたダメージで休養中だったため、手綱を預かった関西の豪腕で知られる熊沢重文は乗りやすい馬だったとさえ述懐するほど…

休養でリフレッシュされたマイシンザンに折り合いがつけば怖いものは何もなかった。

先行有利の流れ&開幕週の馬場をモノともせず捲りながら進出し、最後の1ハロンでスプリングバンブーに並びかけると最後の1ハロンでグイっと力強く捻じ伏せてみせた。

競り合ったスプリングバンブーもいい脚を使っていたので目立ちはしないが、残り100m辺りで交わした一瞬の脚は際立っていた。

ビックリさせられたのはこのレースもレコード決着であったこと。

マイシンザンの勝ち星は僅か4つであるがそのうち3つまでがレコード勝利となった。

管理人はこの勝利で95年天皇賞・秋で一族三代の天皇賞制覇という夢が叶うかもという確信を抱いた。


次走毎日王冠はこの馬の血が持つ別の一面が顔を出す。

レース数を重ねていないため縁がなかったが、父ミホシンザンにとって最大の敵であった道悪競馬となったのである。

予想通りドがつくほどの空っ下手であった。

とはいえ明らかに重巧者であったスガノオージ、ドージマムテキという波乱の決着の5着は決して悲観的な内容ではなく、振り返ってみると良馬場で行われた天皇賞の連対馬となるサクラチトセオー、ジェニュインがそれぞれ4着、6着と間に挟まれたわけだからマイシンザンの天皇賞勝ちの予感がさほど的外れでなかったという裏づけになりはしないか?


ご存知の通りマイシンザンは天皇賞のゲートに入ることはなかった…

屈腱炎の再発…

出走確定後の悲劇に陣営は引退を決意した…

これで日本競馬の至宝といえる血による三代天皇賞制覇の夢は断たれた…


ナタの斬れ味と呼ばれた祖父シンザンや父ミホシンザンの末脚と比べ確実性に欠きながらも破壊力だけは勝るとも劣らないものを見せてくれたマイシンザン。

管理人はこの末脚を祖父や父が刃物に例えられたそれと異なり、精度が決して高いとは言えないミサイルのような爆発力と重ねた。

強いて刃物のような武器に近づけて言うなら トマホークの斬れ味 と言うのはどうだろうか?


インディアンの武器と思い浮かべるのも、ミサイルと思い浮かべるのもそれはそれぞれマイシンザンを体感した方の自由だろう…

トマホークの斬れ味がいつどのような形で振り下ろされる、または投げつけられる、それとも発射されるかは我々には理解不能の最終兵器だったのですから…



至宝の血はこれ以上繋がることはなかった…

マイシンザンは種牡馬としては致命的に産駒受胎率が低く、また当時のように内国産の血を繋いでいこうという気概よりもクラシックを取るためにはサンデーサイレンスに代表される輸入種牡馬をというのが当時の馬産地の主流となっていた…


ノスタルジックな血のストーリーは終焉を迎えた。

しかし管理人の記憶から消えることはないマイシンザン。

末脚三代記の最後を飾る主役に相応しい馬だったと声を大にしたい。



*********

※本記事は2007年5月22日に書かれたものです。この記事は主役であるマイシンザンとの対面が叶った時に公開しようと温存されていた記事です。一部加筆しましたが、基本当時の文章を生かしたまま公開致します。
よくこんな長い文章書いてたなと我ながら感心しましたわ…

天皇賞は明日でいいんですかね?
新たな血のストーリーが大舞台で始まるのかもしれません。

2010/10 管理人


↓シンザン一族は本サイトに掲載されています。こちらからどうぞ。
l_h_ban.gif


スポンサーサイト
再会出来なかった名馬達 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
ハートランドヒリュ~飛んでしまった記事への再戦!
ハートランドヒリュ…


本ブログプロフィール欄で好きな馬として名前を挙げながら、唯一ここまで本サイトでもブログ上に記事をアップしたことがない馬であるが、それには理由がある。

こちらに書いてある通り一度は力の篭った記事を書いたんです…

でも記事が飛んじゃった><

あれだけのものは今自分にはもう書けない…


でも競走生活晩年はもう出走記録で新聞も賑わしてた馬になっていたから偉そうな記事を自分が書かなくてもいいな。


ひとつだけ。


後から知ったんだけど、大阪出張の際、事務所があった関係でよく出かけていた江坂。

今はないみたいだけど相棒とちょいちょい飲みに出た酔虎伝の前、常宿の一つであった東急インの隣にあったマックが入ったビル。

あのビルのオーナーがヒリュの馬主さんだった豊田稔さんのものだったようです。

バヌシヒリュとしてnetkeiba.comにもコメントをわざわざ出していたみたいだし、いいオーナーさんだったんだろうね。

何かとりとめのない記事でしたが、飛んでしまったヒリュとの決着はこんな記事で付けたいなと思います。


おまけ ハートランドヒリュを乗り越えた重賞馬達(ヒリュとの対戦で1着になった馬限定)
トシザブイ(02.03年目黒記念)
トウショウアンドレ(00年中日新聞杯)
ハイフレンドピュア(00年トウケイニセイ記念)
イブキヤマノオー(01年ダイヤモンドS)
タイキポーラ(01年マーメイドS)
マンボツイスト(01平安S、02マーチS他)
ホッコーアンバー(02年京都ジャンプS)
アラタマインディ(02年小倉記念)
ダイタクバートラム(03阪神大賞典、04ステイヤーズS他)
ツルマルボーイ(04安田記念、03金鯱賞他)
タップダンスシチー(03JC、04宝塚記念他)
アサカディフィート(07,08小倉大賞典、04中山金杯)
メイショウラムセス(02富士S)
ネームヴァリュー(03帝王賞、03TCK女王盃他)
シルクフェイマス(06AJCC、04京都記念他)
ヘヴンリーロマンス(05天皇賞秋、05札幌記念)
ワンモアチャッター(05朝日CC)
エリモハリアー(05-07函館記念)
ハットトリック(05香港マイル、05マイルCS他)
スウィフトカレント(06小倉記念)
トウカイトリック(10阪神大賞典、07ダイヤモンドS)


再会出来なかった名馬達 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
15000分の1に泣いた馬
勝負事においてそのスパンが長丁場であればあるほど小差で負けると、より惜しいとか、より悔しいなと思うことはないだろうか?

例えば、陸上。
100m競走で1m負けるのと、42.195kmのマラソンで1m負けるのとどっちが惜しいと思うだろうか?マラソンの方は次やったら違う結果になるかもなんて思わないだろうか?

野球でもシーズン140試合以上やってゲーム差なしで勝率差で順位の上下が決まることは歴史上多々ある。個人成績でもそうだがかつて谷沢健一と張本勲の首位打者争いが6糸差で決着したことがあった。6糸ってシーズン500回打席に立って10万分の6だけ安打が出る確率が違っただけの差…

とはいえ勝負の世界ではどんな差でも勝ちは勝ち、負けは負け。これは純然たる事実である。


さてこれらを踏まえた上で一つ、競馬の負けで一番悔しい負けとは何だろうか?

長丁場でチャンスが少ない、且つ小差の負けとなると競走馬人生で一度しかチャンスがない3000mの菊花賞でハナ差負けなんていうのはどうだろうか?

ちなみに

~ハナ差~
競馬の写真判定で用いられるフォトチャートカメラにおいてスリット差3。1スリットはおよそ1000分の6秒の差で距離にするとハナ差は20cm以内。

3000mで20cmの負けなので距離にすると僅か15000分の1にしか過ぎない。

張本勲の悔しさには及ばないだろうが、一度しかチャンスがないことを考えればこれも相当に悔しくなる差だろう。


調べてみると3頭だけたった一度のチャンスに15000分の1の差で泣いた馬がいたのである。


1966年 スピードシンボリ(勝馬:ナスノコトブキ)
1973年 ハイセイコー(同:タケホープ)
2002年 ファストタテヤマ(同:ヒシミラクル)


何とこの悔しさを味わっているのはいずれ劣らぬ名馬ばかりじゃないか(オイ


2年連続年度代表馬に輝き凱旋門賞にも挑戦したスピードシンボリ!

言わずと知れたアイドルホースであり種牡馬としても優秀だったハイセイコー!

’&%$”¥○×△□@+*<>()=~だったファストタテヤマ。。。


大きな悔しさをバネにした馬達は名馬と呼ばれる域まで駆け上ることが確かに、

誰が何と言おうと確かに、、

太陽が西から昇ろうと確かに、、、

証明されたのである。。。。。。。。。。。。。。。


***** 募集 *****

’&%$”¥○×△□@+*<>()=~

に当て嵌まる言葉を募集します…

字数制限ならびに募集期限はありません。

ファストタテヤマをスピードシンボリ、ハイセイコーに並ぶ名馬に出来る賛歌をお待ち申し上げています。


*********

※本記事は2007年10月3日に書かれたものです。2007年10月7日京都競馬場で行われた京都大賞典を以って引退したファストタテヤマネタを探し出して、引退から菊花賞までの間に掲載しようと準備していたものです。一部加筆訂正致しましたが、基本当時の文章を生かしたまま公開致します。

なお’&%$”¥○×△□@+*<>()=~に入るファストタテヤマ賛歌はタイムリーなネタではありませんが当時のファンがもしこの記事を目にしましたら今も、そしてこれからも募集しています!

管理人はファストタテヤマが大好きです!



さあ、今年の菊花賞は明日スタート!
僅かな差での泣き笑いが見られるのでしょうか?

皐月賞馬もダービー馬も不在でローズキングダムが人気なのでしょうが、2冠を逃した2歳王者が菊を勝つという展開には些か違和感を感じるという管理人の予感は当たるのでしょうか?


2010/10 管理人


↓15000分の1に笑ったヒシミラクルと泣いたファストタテヤマは本サイトにも掲載されています。
こちらからお立ち寄りください。
l_h_ban.gif


名馬達との再会…にまつわるエトセトラ | トラックバック(0) | コメント(2) |permalink
私の選ぶ菊花賞馬BEST10
体調を悪くする5年程前くらいから日曜日といえば競馬を楽しむ傍ら草野球三昧の週末を過ごした野球好きでもある管理人。

プロ野球のクライマックスシリーズが行われていた先週末はアパパネの3冠よりもこちらの方が気になっていたかもしれない。

個人的にペナント144試合の意義を薄くするクライマックスシリーズは好きではないのだが、緊張感のあるゲームをこの時期に楽しめるという意味においては大歓迎。

しかし我が阪神タイガースは絶対守護神の藤川球児が打たれて終戦。

まぁCSで勝ちあがってもと思っていたので終戦は構わないのだが、問題は球児の使われ方。

近代野球では先発投手が100球6~7回をメドに中5~6日回しとするなら、ストッパーは15球1回だが毎日出番があるやもしれぬ。

同じ投手という職業ながらトータルとしてゲームを作る先発と瞬発的に0で抑えることを要求される抑えという立場はかなり異なるものであろう。

今シーズンは中盤戦あたりから2イニングを要求されることがしばしばあった球児、さらにもう一人阪神の終盤を支えるはずの久保田が調子を崩して行ったのも1イニングに集中できない状況が招いたものではなかろうか?

彼らは力投型で競馬に例えればスプリンターである。

その状況をあまり把握しているとは言えない迷監督が来期も采配を取る以上、両投手の肉体的ダメージ以上に精神的な迷いは続きそうで、ひいては中長期的なチーム低迷を予感せざるを得ない。

まぁ暗黒時代の阪神を知っているから弱いのは慣れっこなんですけどね。



対して今週の競馬はスプリントならぬ長距離レース、クラシック最終戦菊花賞である。

名監督ならぬ名手が距離を感じさせぬ騎乗をすることで中距離馬が台頭した時代もあるが、近年はダンスインザダーク産駒であらぬもの菊花賞馬にならずというムードさえあるステイヤー台頭の舞台に戻った感が強い。

とはいえ今年のダンスインザダーク産駒はタニノエポレットという人気薄ムードプンプンの馬が一頭いるだけ。

むしろ同じく菊花賞を制しているマンハッタンカフェ産駒がゴロゴロ出走してきそうだ。

3冠馬誕生と1強ムードだった牝馬戦線と違い、どうも混線になりそうな菊戦線。


というわけで今週の記事は菊花賞ネタで。

まず今回は十八番(といっても3回目ですが)のMY BEST 10シリーズから。

菊花賞馬じゃなく菊花賞“出走”馬にしようかなと思ったんですけど、それはもうちょい体調が上向いてからじゃないと書けませんね^^;

大人しく菊花賞馬BEST10で。



なお管理人がビデオなりリアルタイムなりでフルに見た菊花賞は昭和58年の第44回以降。

43回以前で見たことがあるのはほぼダイジェスト程度。

従いまして44回以降の馬が中心になります。

また観点としては他のタイトルが記憶に残る馬よりも菊花賞が一番記憶に残る馬を上位にさせて頂きました。


**********


第10位 ナリタブライアン(平成6年・第55回)

これですねぇ、レースのインパクトとしてはかなり上位なんです。
でもブライアンはやっぱりダービーの大外ぶん回しなんですよね。
とはいえランク外は考えづらく下位に入れさせていただきました。


第9位 グリーングラス(昭和54年・第37回)

44回以前は知らぬと言ってもさすがにこれは見ています。
TTG時代は競馬史を語る上で後年になってから出来た言葉です。
そしてグリーングラスがトウショウボーイ、テンポイントと並ぶ存在として組み込まれた理由はやはりこの菊での快勝にポイントがあったと言えるでしょう。


第8位 スーパークリーク(昭和63年・第49回)

この馬の場合オグリ&イナリと形成した平成三強で演じた古馬時代のレースが代表なのかもしれません。
ただ武豊の初GⅠというのは日本競馬史の意義を考えると外せない出来事だったと思います。
トライアルでコロコロやられてたことでも明らかですが、クリークはこの時点で未完成だったのでしょうね。


第7位 セイウンスカイ(平成10年・第59回)

10位~8位というのは何と言うか歴史的意義という変化球的な意義が強い選定でした。
で、実質的にはここからなんですけど、迷いましたね~
迷った2頭には別のレースがあるということ、そして菊花賞レコードの走破タイムへの敬意でこの馬にしました。
この頃毎年のようにレコードが更新されていましたけど当時極めつけ感があったタイムだったと思います。
10年近く経ってからソングオブウインドが更新しましたけど…


第6位 ビワハヤヒデ(平成5年・第54回)

菊花賞は強い馬が勝つなんて言われていた時代もありますが、まさしくそれを象徴する圧勝。
ただこの勝利で平成新三強時代が終焉してしまった感があり、圧倒的な勝利ながらハヤヒデは損した気がしないでもないですね。
弟という最強のライバルになるはずの馬と激突前にリタイアしたこともあって何かと残念な印象があります。


第5位 サクラスターオー(昭和62年・第48回)

スターオーのドラマチックで短い馬生を叙事詩とするなら、この年の菊花賞そのものは叙情詩的でした。
広がる青空。西日が照らす馬達。そしてあの菊の季節にサクラという杉本節。
白メンコのスターオーから伸びる黒くて長い影が着差を増幅してさらに浮き彫りにしていました。


第4位 レオダーバン(平成3年・第52回)

これは好き嫌い真っ二つに分かれるでしょうねぇ。
個人的には騎手という役割が競馬の中でどれだけ大事であるかが最もわかるレースという評価をしています。
岡部は本質中距離馬のレオダーバンに完璧な“2000m”のレースをさせちゃいましたよね。
これから騎手を目指す若い人がこの記事を読んでいたら是非このレースは見てもらいたいですね。


第3位 ディープインパクト(平成17年・第66回)

二冠馬、三冠馬となると他のレースが印象に残りがちですが、ディープの場合は菊花賞の印象が鮮烈です。
あのレースはまともならアドマイヤジャパンがまんまと逃げ切るレースだったはずです。
あれに届いた上、コンマ3秒置き去りにしたっていうこの馬の能力には呆れるしかありませんでした。


第2位 ダンスインザダーク(平成8年・第57回)

冒頭でも言いましたけどこの馬は現役・繁殖通じてもはやミスター菊花賞の称号を与えたい程ですよね。
桁違いの末脚は菊花賞史に残る名シーンであり、今思えば淀の3000に全てを捧げた勝利だったのではないでしょうか?
で、この馬より上位って。。。


第1位 ナリタトップロード(平成11年・第60回)

第1位にするのはやり過ぎかもしれません。
でも管理人の競馬観戦歴の中で最も勝たせてあげたいと思ったのはこの菊花賞でのこの馬だったと思います。
勝った時はちょっぴり目が潤みました。
早逝してしまったこの馬、菊花賞を獲った記念日が命日になってしまったのがとても切なく感じました。。。



**********

メジロマックイーンとライスシャワーは入れたかったですけどね…

ただライスは菊でのブルボン撃破と春盾でのマック撃破が自分の中でどっちがインパクトあったかな~と考えたんですね…

当時春盾でマック敗北は有り得ないと思ってましたから…

そう考えるとマックも勝ちも負けも春盾と共に語られるべき馬なのかなぁということで両馬が外れました…



だいぶ皆さんと意見も違うとは思いますけど、これが管理人の菊花賞馬BEST10です。



土曜日も菊花賞に関する記事がUPされます。

古い下書き引っ張り出したものですけど、この勝ち馬記事とは異なる視点で書いたものなのでそちらもよろしかったらご覧頂ければと思います。



↓サクラスターオー、グリーングラス、ナリタブライアンを除く7頭は本サイトにも掲載されています。こちらからどうぞ。
l_h_ban.gif


記憶に残るレース | トラックバック(0) | コメント(2) |permalink
ちっちゃなライバルストーリー2~お手々繋いで、ダイワルージュ&リワードアンセル
物故馬リストを整理しているときにダイワルージュが亡くなっていたことを初めて知った。。。


私が初めて北海道馬産地巡りに行ったのが2000年。

当時は後年の100%馬産地の旅とは違い馬産地34%、競馬観戦33%、観光、、、というか若気の至りで食と色のお遊び33%の旅。

帯広から馬産地を西に進み札幌(というか某繁華街)&岩見沢の寄り道を経て、最終目的地は朝市と函館記念目当ての函館競馬場。


彼女がデビューしたのがまさにその函館記念が行われた日。

もっとも彼女のデビューは福島でしたけどね…


長い道程で交互に運転しなければならない後輩2人、、、

おっと、正確には先輩と後輩だったから、、、若手2人としましょう。
(余談ではあるが自分より若年の先輩だったのがThoroughbred Photo Galleryの管理人さんであるtokaiteio2006さん。
本サイト「名馬達との再会」の写真提供も頂いており、ブログや本サイト記事中でも相棒の呼び名でちょろちょろ登場しているのでThoroughbred Photo Galleryの方にも是非お立ち寄りください。)

対する管理人の役目は望遠鏡代わりに表札・案内表示を見つけることだけで、後は後部座席で社長ノリ♪

函館までの道程ではその役目もなく、都会と違い快適な直線続きの道ですから、車中でもまぁ隅々まで読めましたよ、新聞w

そんな特殊な状況でスカーレットの娘がデビューする記事読んだんですから10年経った今でもその記憶がパッと甦ったわけです。

朝市で新鮮な海の幸を頬張り、お土産購入、レンタカーの乗り捨てなども済ませ函館競馬場に乗り込んだ時には既に勝ち名乗りを受けていたようです。



このダイワルージュデビュー1日前に新馬戦を勝ち上がった馬がリワードアンセル。

エリザベス女王杯を制したリワードウイングの孫である。

この馬のデビュー戦は412kgと小柄な馬であったが、祖母リワードウイングも420kg台でレースしていた馬。

初戦の勝ちっぷりも後続を1秒置いていくもので、祖母のような期待をかけられるようになる。

この初戦の発走時間、管理人は何をしていたかというと、恐らく運転を担当していた後輩(相棒の方ではなく純・後輩)が何故かパトカーの中にいたのを車中で待っていたのではないかと思われる…


**********

同週、同競馬場の新馬を勝ちあがった2頭の牝馬はこの後半年以上もの間同じレースで歩調を共にすることになった。


まずは新潟3歳ステークス。

当時のサマーシリーズ3歳ステークスは殆どが1200m戦。

初戦でルージュが1200mを1分10秒3で駆け抜けたのに対し、アンセルは破格の1分9秒2。

7頭と少々寂しい頭数であったが、人気はこの2頭が分け合う形となり、アンセル1.7倍、ルージュ2.8倍の順であった。

レースはマイフェアレディが刻む典型的な前傾ラップとなり、消耗戦の様相を呈する。

3番手を並んで追走した両馬が直線抜け出し、最後はルージュが1馬身先着した。

決め手の差というよりは短距離には珍しいスタミナの差ではなかっただろうか?



両馬は一息入れ、暮れの3歳女王決定戦へ向かう。

1番人気は札幌3歳S3着以来となるテイエムオーシャンが推された。

負けた相手が後のダービー馬ジャングルポケットと東スポ杯で強い勝ち方を見せたタガノテイオーとあっては当然だったろう。

ルージュは6番人気、アンセルが7番人気の評価だった。

レースは逃げ馬の番手を大名マークしたオーシャンが抜け出し女王の座につく。

ルージュはその直後から食い下がったものの2着が精一杯。アンセルは祖母を思わせるかのように中団から力強く伸びルージュに半馬身差まで迫ったところがゴールだった。

新潟王者決定戦に次いでまたも並び着順となった。



年齢表記の変更があり2回目の3歳初戦でも両馬は同じゲートで並ぶことになる。

関東で行われた桜花賞トライアル・アネモネSである。

小柄なアンセルが休み明けにも拘らず何とマイナス14kgで400kg台での出走となる。

これが嫌われたか人気はルージュのみならずシェリルウーマンにも水を開けられた3番人気だった。

ただそれでも2連敗中のアンセルはここでルージュに先着出来ないようだと桜花賞に胸を張って出走とはいかない。

陣営はルージュより前で競馬をすることを選んだ。

4角を回り抜け出した2頭の叩き合いとなるが、ゴール前でクビだけ前にいたのはまたもルージュの方。

アンセル3連敗。。。


しかし3戦連続で着順が並びとなるケースも珍しかろう。

しかも1馬身→半馬身→クビと徐々に差は詰まっている。



ある日、前述のなぜかパトカーの中にいた後輩が言ったっけ。

「ダイワルージュとリワードアンセル、いつも“お手々繋いで”ですね」

確かに絶対王者的なムードを醸し出していたテイエムオーシャンという馬が出て来た以上、その姿は桜花賞を狙うライバルというよりも、仲良しの少女が手を繋いでいつも一緒にいる姿になぞらえた方が自然に見えるというのも正直な感想だった。




両馬最後の対決、いや最後の想い出つくりと言った方が良かったのか?、桜の舞台。

ルージュはいつも通り頑張った。

だが馬体減の反動もあったのかアンセルは全く見せ場がなかった。


3着と9着。


ルージュとアンセルは初めて離れ離れになった…



アンセルはここで戦線離脱となる…

そしてアンセルがいなくなったオークスでルージュは惨敗した…



アンセルが戦線復帰しても、GⅠで3着、OPで2着と賞金の上積みがなかったアンセルとルージュはクラスが別々にだった。

二度と巡り合うことはなかった…




ルージュを探したアンセルは2003年6月、最初にルージュとすれ違った福島のターフに散る…

5歳の夏だった…



アンセルを待ったルージュも母として僅か3頭の仔しか残せぬまま2010年4月、出産時のトラブルで夭折…

12歳の若さであった…



どことなく切ない少女2頭のストーリー…




きっとルージュとアンセルが一緒に並んで、少し大人の姿を見せたかったはずの秋華賞は明日行われます。

華やかな勝ち名乗りを受ける選ばれし1頭の影で、負けた17頭の中にもひっそりと語られるような物語が隠されているかもしれません。

昔ほど競馬見てないので印打ったりの予想はしませんが、藤岡祐騎手がそろそろ男になってもいいだろうということでサンテミリオンを本命視、人気馬以外ではベガ、ホクトベガ、ノースフライトらと同世代・アロームの仔で堅実に走っているレインボーダリアと叩き良化型であろうアグネスワルツを着穴として注目しています。
名馬達との再会…にまつわるエトセトラ | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
ちっちゃなライバルストーリー1~ホッカイルソー&マイネルガーベ&マイネルブリッジ
※本記事は2007年8月22日に書かれたものです。筆者事情により公開されず下書きとして保存しておりました。一部近況と異なる部分がありますが、ほぼ当時の文章のまま手を加えずに公開致します。

ちなみに1と謳ってあるにも関わらず当時の下書きに2は存在しませんでした(笑)
先日別の下書きをちょこちょこと改編して2を書き上げましたので土曜に公開します。


2010/9 筆者

*********

ディープインパクトという絶対王者がターフを去り、群雄割拠の年になると思われた2007年の日本競馬界。
天皇賞春を制したメイショウサムソンと宝塚記念を制したアドマイヤムーンが頭一つ抜け出した感がある。
3歳戦線に目を向けてみると最高峰のレースであるダービーを牝馬・ウオッカが制するようでは新星の誕生には期待しづらい…
逆に牝馬は互いに成長力に乏しい危険性を含むものの桜花賞を制したダイワスカーレット、前述ウオッカがライバルとして秋競馬を盛り上げていくことになろう。


ライバルの存在があって名馬はより光を増すのは歴史が語る通り明白である。

トウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスのTTG。
オグリキャップ、スーパークリーク、イナリワンの平成三強。

しかしそれは大レースに限ったことではない。
クローズアップされることはないライバルストーリーを拾い上げてみよう。


まず1回目として妙なトライアングルを描いた1992年産馬、ホッカイルソー、マイネルガーベ、マイネルブリッジの3頭を取り上げてみる。

⇒ 続きを読む
名馬達との再会…にまつわるエトセトラ | トラックバック(0) | コメント(2) |permalink
種明かし
このブログを書き始めてすぐの記事にオグリキャップ~芦毛の怪物という記事がある。


もう4年も前の記事であるが、この文中で

「よくよく確認して頂ければ「名馬達との再会」でもオグリが写った写真を一枚だけ掲載した。まあ見てわかるとは思えないが…」

と書いた。



掲載当時ある方からどこにオグリの写真あるの?と聞かれたことがあったのを思い出したので遅ればせながら回答を。


実際にオグリに会ったことがある人はその風景からすぐ気付くと思うのですが、トップページからENTER押して入室するとすぐに

~“名馬達との再会”について~

というページがあります。


ここで使用されている楕円形の写真が2003年頃の優駿スタリオンステーションで撮影されたものなんです。



中央やや右がキングヘイロー。

画面左手、柵の向こう側にいるのがマヤノトップガン。

で、トップガンのすぐ左脇、画面で5mmくらい左のところに白っぽいものが写っているのに気付きませんか?

これこそ実は芦毛の馬がお尻を向けているところでオグリキャップなんです…



当時の優駿スタリオンステーションは見学台が画面を左側の方に倍くらい伸ばしたあたり、ちょうどトップガンとキングヘイローの放牧地の真ん中くらいのところにあったんです。

下のような位置関係ですね。

|    オグリ

| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|    トップガン

  ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  見  | ヘイロー
  学  |
  台    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

     駐車場&売店




正確にはヘイローの手前にライブリマウントがいたのかな?

で、オグリの奥にさらに広い放牧場。

その奥が道路ということで道路側からもオグリは遠い。


見学台に行っても私のカメラではオグリの写真はちょうどこの写真でいうところのトップガンの大きさくらいでしか撮影出来ませんでした。

どうしようかと思案して駐車場の位置からこういう豪華スリーショットを風景画として残したというわけです。


この次に行ったときには優駿スタリオンステーションは旧CBスタッドの跡地に移転した後で見学不可になっていました。



2010年からオグリのみ見学可能になったようですが、ご存知の通りそれは本当に僅かな期間だけで…


そんなオグリが残した名勝負の一つ、イナリワンとデッドヒートを繰り広げた毎日王冠は明日行われます(で、合ってるかな?予約投稿なんで間違えてるかも…)


GⅡながら数多くの名勝負を残す府中開幕週の激闘に期待しましょう!



名馬達との再会…にまつわるエトセトラ | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
再会出来なくなってしまった名馬達~物故馬(2007年10月~2010年9月判明分)
サイト更新停止中に天翔ける馬となり旅立っていった名馬達です。
ブログ更新していたら恐らく記事として取り上げたであろうなと思われる馬のみ列挙しました。
管理人の調査能力そのものが現在相当落ちていますので、拾い損ねてる馬もあるかもしれません。
名馬達よ、安らかに…

***********

★ニチドウアラシ(牡)2007年・31歳没 80マイラーズカップ
シンコウフォレスト(牡)2007年7月・14歳没 98高松宮記念勝馬、アイルランドで種牡馬生活を送っていたが受胎率が悪く種牡馬引退→薬殺
ミルジョージ(牡)2007年10月19日・32歳没 イナリワン、オサイチジョージ等の父
ジョンヘンリー(牡)2007年10月8日・32歳没 第2回JCに出走したアメリカ最多GⅠ勝利記録保持馬
ウズシオタロー (牝)2007年8月10日・33歳没 250走したアラブの鉄人
タムロチェリー(牝)2007年8月15日・8歳没 01阪神JF勝馬 がん
ノースガスト(牡)2007年9月11日・30歳没 80菊花賞

ジョージモナーク(牡)2008年・23歳没 91オールカマー。地方馬
エルカーサリバー(牝)2008年・19歳没 93日経新春杯・行方不明
★リワードウイング(牝)2008年1月15日・26歳没
★シャーディー(牡)2008年1月8日・22歳没
ウイニングカラーズ(牝)2008年2月17日・23歳没 88ケンタッキーダービー
アドマイヤキッス(牝)2008年3月4日・5歳没 06ローズステークス・骨折安楽死
サンアディユ(牝)2008年3月9日・6歳没 07アイビスサマーダッシュ・心不全
アストンマーチャン(牝)2008年4月21日・4歳没 06フィリーズレヴュー・急性心不全
トウショウナイト(牡)2008年4月30日・7歳没 07アルゼンチン共和国杯・骨折安楽死
リージェントブラフ(牡)2008年4月7日・12歳没 02川崎記念・病死
★リンデンリリー(牝)2008年5月5日・20歳)
エイシンテネシー(牝)2008年6月5日・19歳没 94金杯・西・事故
シルヴァーホーク(牡)2008年6月5日・29歳没 グラスワンダーの父
ダンツシリウス(牝)2008年7月18日・13歳没 98チューリップ賞・疝痛
タヤスツヨシ(牡)2008年7月29日・16歳没 95日本ダービー・骨折安楽死
★マイネルマックス(牡)2008年8月25日・14歳没
★ホスピタリティ(牡)2008年8月4日・29歳没
コジーン(牡)2008年10月7日・28歳没 アドマイヤコジーンの父
メイショウテゾロ(牡)2008年10月17日・16歳没 95シンザン記念、95マイルCS大穴の主役
タレンティドガール(牝)2008年11月13日・24歳没 87エリザベス女王杯・老衰
★ヒシアケボノ(牡)2008年11月19日・16歳没
アイポッパー(牡)2008年11月26日・8歳没 07阪神大賞典・蹄葉炎
★ダイタクヘリオス(牡)2008年12月12日・21歳没
レジェンドハンター(牡)2008年12月13日・11歳没 99デイリー杯3歳S・病死

ミラクルアドマイヤ(牡)2009年・24歳没 消息不明
★サクラケイザンオー(牡)2009年2月4日・16歳没
メリーナイス(牡)2009年3月1日・25歳没 87日本ダービー・疝痛
アーバンシー(牝)2009年3月2日・20歳没 93凱旋門賞、JC出走
★デュラブ(牡)2009年3月4日・27歳没
★アグネスタキオン(牡)2009年6月22日・11歳没
★イブキマイカグラ(牡)2009年6月24日・21歳没
★マイネルブレーブ(牡)2009年8月2日・23歳没
カコイーシーズ(牡)2009年9月11日・23歳没 コンサートボーイの父・心臓麻痺
★エルプス(牝)2009年9月15日・27歳没
リードホーユー(牡)2009年9月18日・29歳没 83有馬記念・骨折安楽死
★メジロティターン(牡)2009年10月13日・31歳没
メジロデュレン(牡)2009年10月19日・26歳没 86菊花賞・老衰
ルション(牡)2009年10月26日・28歳没 老衰
カツラノハイセイコ(牡)2009年10月8日・33歳没 79日本ダービー、81天皇賞春・老衰
★ウインザーノット(牡)2009年11月19日・29歳没

★シックスセンス(牡)2010年1月・8歳没
トウカイナチュラル(牝)2010年2月1日・28歳没 トウカイテイオーの母・老衰
★バブルガムフェロー(牡)2010年4月26日・17歳没
★ヘクタープロテクター(牡)2010年5月12日・22歳没
タスカータソルテ(牡)2010年5月29日・6歳没 08札幌記念・予後不良
ダイワルージュ(牝)2010年6月20日・12歳没 00新潟3歳S
タケミカヅチ(牡)2010年6月30日・5歳没 09ダービー卿CT・出血性大腸炎
ポレール(牡)2010年7月1日・19歳没 中山大障害3連覇・横隔膜ヘルニア
★モンテファスト(牡)2010年7月12日・32歳没
★グルメフロンティア(牡)2010年7月17日・18歳没
カノヤザクラ(牝)2010年7月18日・6歳没 08セントウルS・脱臼・予後不良
★シルクグレイッシュ(牡)2010年7月26日・19歳没
★ヤマカツスズラン(牝)2010年7月2日・13歳没
オグリキャップ(牡)2010年7月3日・25歳没 88,90有馬記念・骨折安楽死
★スーパークリーク(牡)2010年8月29日・25歳没


★印のある馬達については本サイトに掲載されています。
↓こちら
l_h_ban.gif


再会出来なかった名馬達 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
私の選ぶ“純”スプリンターBEST10
※本記事は2007年9月2日に書かれたものです。筆者事情により公開されず下書きとして保存しておりました。一部近年の競馬事情と異なる部分があったりするかもしれませんが、当時の文章のまま手を加えずに公開致します。
まぁ一応旬な記事てことでw

2010/9 筆者

*********

今回のBest10シリーズは“純”・スプリンター編。
管理人はスプリント1200mとマイル1600mはそれぞれのスペシャリストにとっては1800mと3000mくらいの違いがあるが持論。
今回は1200mで活躍した名スプリンターという視点ではなく、1600m以上の勝ち星は減点材料とするなど本当に純粋なスプリンターだけを選考してみました。



⇒ 続きを読む
記憶に残るレース | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。