名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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福永祐一通算1200勝&年間100勝 with 第30回JC
福永祐一騎手が通算1200勝と2005年以来2度目となる年間100勝を達成。

15年でこの数字、実際非凡な数字であるのは間違いないのだが、天才二世としての過大なる期待からすると物足りなさを感じなくもない数字ともいえる。

私もユーイチには天才の幻想を抱いていた一人。

その証拠が下の写真。

懐かしい馬券

96年3月2日1回中京1日2Rマルブツプレベストがユウイチの初勝利、同3Rレイベストメントで2連勝。

この単勝馬券を未だに持っているというこの素晴らしさ(え

決してコピーではなく実券です。

馬券の購入場所も注目で、関東人なのにウインズ難波。

これ実際にユーイチのデビューに合わせて関西行ったんです…

ところが何と中京デビュー…

行き先を何故変更しなかったかというと、同行したのが競艇好きで本場・住之江で競艇を見たいということで、変更をゴリ押しできる状況ではなかったのです><

ユーイチが阪神でデビューせんのならウインズで馬券購入して初日を住之江にするかということで、途中立ち寄ったこのウインズ難波での記念馬券が残ってます。

200円買ってたっていうのが記念馬券にする気だったのか、配当受け取る気だったのかいまいち不明ですが、その辺はまぁご愛嬌ということでw

この2Rでは現在評論家となってる細江純子もデビューしています(マイネセレナータ・14着)

ユーイチとホソジュンにはこの年の7月阪神開催で5万馬券(ストークS・1着福永&トップサンキスト‐2着細江&レゾンデートル)をプレゼントしてもらったことがあるのもいい思い出ですねぇ…

今年は関西リーディングを直走るユーイチ。

全国リーディングの上位2人がかなり休んでいたことを考えるとこの位置で満足しろとは言いませんが、まずは箔をつけるためにもこの位置は死守してもらいたいものです。



このユーイチのデビュー日に阪神競馬場で行われたチューリップ賞。

1着エアグルーヴ
2着ビワハイジ
3着アジュディケーター
4着ロゼカラー
以下略

ブエナビスタの母・ビワハイジにローズキングダムの祖母・ロゼカラーが出走してます。

ユーイチの記念勝利が重なった週の偶然はサインだったのでしょうか…

だとしたらあまりに手が込み過ぎですよね;;;

さらに言えば先日亡くなったサクラユタカオーの孫が土曜に重賞勝利。

ユタカと孫?

うーん、後付けならいくらでもサインになってしまうものですね。




しかし騎手原因で降着の決着はいつもながら納得がいきませんね…

馬券を買ったファンには何の罪もないのにね…

国際競馬に準じている以上これ以上の制裁が与えられることはないでしょうけど、競艇なんかだと大レースで選手の責任しかないフライング、レイトスタートなどはペナルティはもっと重い上、ファンに罪はないので払い戻しですからねぇ。

ブエナ頭の馬券で勝負していた人にはちょっと気の毒ですね;;;

やはり私はまっすぐ走る騎手が好きです。




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ロツキータイガー~オラが町の英雄!
筆者は草野球プレイヤーとして毎週のようにプレイを楽しむ野球好きでした。

勿論“傍観者”としてプロ野球やら大学野球で母校の応援をしたりなども楽しんでおります。


傍観者としての野球で私が嫌うことが一つ…

自分の贔屓チームしか知らないファン…
子供時分にはネコも杓子もTVで毎日見られる読売ファンに囲まれる中(小学校以降は地元に移転してきた某セのお荷物球団ファンも一部いたが…)、一人反発するかのように、地元から程遠い関西の阪神、南海、近鉄の応援をしてきた。南海には福本以前の盗塁王・韋駄天こと広瀬叔功から始まり桜井輝秀、藤原満、野村克也、門田博光、W・パーカー、R・ロリッチ、島野育夫へと続くオーダーが魅力あったし、投手陣も江本孟紀、山内新一、松原明夫(後の福士敬章)、佐々木宏一郎。当時ようやく脚光を浴びて来た抑えには8時半の男こと佐藤道郎など現在のソフトバンクに勝るとも劣らぬ魅力的な野武士揃いであった。

私が自負したいのはその頃の12球団のオーダーを全てソラで言えて、その上でこのチームが好きと応援してきたことである。ちゃんとプロ野球ファンでいた上で、その中に魅力を感じて子供なりに決めたことだった。今でも野球ファンでない読売ファンは勿論だが、同類であれば私と同じ阪神ファンやソフトバンクファンであっても一緒に野球を語ろうとは決して思わない…

私の前提はあくまで野球ファンなのである。


さて野球と並行して応援する競馬の世界。

ここでもテレビで見られる中央競馬ばかりが脚光を浴びている…

しかしファンの多くが歯牙にもかけない地方競馬にも時代を支えたヒーローはいた。

大レースを制した地方馬は数多くいたが中央競馬の歴史を振り返っても間違いなく5本の指に入ってくるはずである皇帝に真っ向勝負を挑みその背に最も接近し、歴史を変えた馬…

ロツキータイガー



まず最初に触れておきたいのは会話の中でこの馬の話題が出ると必ず“ロッキータイガー”と発音される。確かにジャパンカップの出走表にも“ロッキータイガー”と表記されている。しかしこの馬の正式表記は“ロツキータイガー”が正解。当時の中央では認められていた促音表記が南関東(地方)では認められてなかったためである。
時代を感じるエピソードであるが、ここでは馬名として触れる部分においては登録名称通りの“ロツキータイガー”を、その他愛称的に使う場合には愛情を込め口語的な表現である“ロッキー”と区別して表記させてもらうことをまずお断りしておく。

ロツキータイガーのデビューは南関東・船橋。3歳(当時の年齢表記)時の5戦は僅かに1勝しか挙げられず後の片鱗を見ることは出来ない。距離、気性面の成長待ちといったものもあったろうが最大の要因は450kgを切る馬体では止むを得ないパワー不足と後方から脚を溜める脚質とのバランスがまだ取れていなかったというのが定説となっている。

不気味に後方待機から砂競馬としては珍しい切れ味を開花させるのに一役買ったのは当時の南関東リーディングジョッキーを張っていた桑島孝春である。ここまでロッキーは6走したのだがそのうち実に3走でロッキーを一蹴していたのが桑島と所属厩舎のホープであったワイドイーグルであった。雲取賞でロッキーと初コンビを組んだ桑島は、味方につくや否やパワー不足のロッキーを補って余りある豪腕で見事動かしきりワイドイーグルにリベンジを果たす。このレースがロッキーにとっては完全なターニングポイントとなった。南関東2冠では桑島が再度ワイドイーグルに騎乗するため現在の南関東のリーディングトレーナーである川島正行に乗り変わることになるがそこでキングハイセイコー、ステートジャガーと3強を形成した。羽田盃:キング→ジャガー→ロッキー、東京ダービー:キング→ロッキー→ジャガーと形の上ではキングハイセイコーに2冠を許したが十分なインパクトを残し秋を迎えたロッキーはここで桑島と本格的なコンビを結成。休み明けのいちょう賞を勝ち上がると3冠最後の1冠東京王冠賞でこれが本来の力の差だと言わんばかりキング以下をちぎり捨てての快勝。その後の東京大賞典も含めて4歳秋から5歳春(当時)にかけ6連勝をマークし南関東の頂点に立つ。

ちなみにこの時代の南関東は今もなお史上最高のハイレベル世代と言われておりキングハイセイコー、ステートジャガーは、中央に移籍し両馬とも重賞で連対(キング:札幌記念2着、ジャガー:マイラーズC2着、産経大阪杯1着)を果たしている。

秋になるとロツキータイガーは2走(いずれも3着)した後、1歳上のテツノカチドキを抑え事実上の地方代表決定戦に勝利し、日本で行われる最高峰の世界戦・ジャパンカップへの切符を掴んだ。

対するは世界の強豪に加え天皇賞1~3着馬。その中には同年齢で同じ3冠でありながら脚光を浴びる中央の舞台で、しかもその全てを完勝してきた皇帝と呼ばれし最強馬・シンボリルドルフがいた。その皇帝も前走天皇賞でギャロップダイナ捨て身の強襲に屈したばかり。また前年敗北を喫したジャパンカップの舞台での雪辱の意味からも、皇帝の復権を印象つけるために絶対に負けることが出来ない一戦。

芝経験のないロッキーだったが、相手関係はともかく地方馬にありがちな馬力型とは一味違う切れ味こそこの馬本来の姿と見ていた陣営は気性面の不安があるロッキーに初めてとなる府中と芝を経験させるために入念なスクーリングを行いながら好戦に確かな手応えを深めていったという。それは地方競馬全ての関係者も同様で、2年前に初めて地方代表として挑んだダーリンググラスの健闘(といっても最低人気で10着)とは比べものにならない期待を抱き、中には「ロッキーが勝つ」と信じ馬券をしこたま握っていた人もいたらしい。

「俺たちの代表馬は枠があるから出走して回ってくるだけの馬ではないんだ!」

当日は雨模様の重馬場。
切れ味が持ち味のロッキーにとってデメリットが0とは言わないが、未経験の高速決着よりは遥かにアドバンテージを得た可能性の方が大きかったかもしれない。
後方外目につけじっと折り合いに専念するロッキーと桑島。ウインザーノットが引っ張る先行勢が向正面でやり合う様子を確認すると3角過ぎから進出を開始し、府中の長い直線をこのコンビは全力で駆け抜けた。
結果は皇帝の背中には及ばなかったものの2着でゴールした。

桑島語録に「勝ったからといって大喜びしてはいけないんだ。負けて悔しい人もいるんだからね」というものがある。この言葉の裏を返せば敗者桑島の悔しさたるや計り知れないものがあったであろう。競馬において勝者と敗者の差はあまりにも大きいものである。しかしロツキータイガーと地方競馬が見せた意地は着順では語れない大きなものがあったことだけは確かである。


その後のロツキータイガーについて語るのも蛇足というものだろう。
その最期だけ簡単に触れておくと、種牡馬→功労馬として余生を過ごし、去る4月2日、松浦牧場にて老衰で死亡。

競走馬として一流であったことは間違いないがその頂点を極めたとまではいえないかもしれない…
勿論種牡馬としてはお世辞にも成功をしたとはいえない…

しかし競走馬人生を全うした南関東のファンと関係者に愛され続け、
10数年に渡る余生においても生まれ故郷で生産者の愛に包まれ続けたロッキー…

恐らくロッキーに関わった全ての人たちに聞けばこう答えるのではないか?


「ロッキーをどう思うかって?そうだな、、、うん。
ロッキーは南関東・船橋のヒーロー、、、いや“オラが町のヒーロー”だったさ!」 




ロツキータイガー

鹿毛 牝 1981年5月12日生 2007年4月2日死亡
父 ミルジョージ 母 ロツキーハーバー 母父 Sicar
競走成績 25戦10勝

1984年 雲取賞 1着
1984年 東京王冠賞 1着
1985年 報知グランプリC 1着
1985年 大井金杯 1着
1985年 ダイオライト記念 1着
1985年 帝王賞 1着
1985年 東京記念 1着
1985年 ジャパンカップ(GⅠ) 2着






*********


※本記事は2007年7月11日に書かれたものです。筆者事情により公開されず下書きとして保存しておりました。一部筆者近況と異なる部分があり、且つ推敲もなされておりませんが、当時の文章のまま最低限の加筆・修正で公開致しました。

ジャパンカップは明日です。
地方代表は見られなくなって久しいですが、中央の馬が日の丸の威信を背負って世界を迎え撃つ熱き戦いに期待しましょう。

2010/9 筆者


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内国産の至宝~快速・サクラユタカオー死す
86年の天皇賞馬・サクラユタカオーが11月23日未明、繋養されていたライディングヒルズ静内で老衰のため死亡した。先日のブロケード同様28歳の大往生だった。


ミホシンザンと同期の82年生まれ。

クラシック戦線ではまだ本格化には遠く善戦に止まったが古馬になり中距離戦線で台頭。

特に秋の活躍はめざましく毎日王冠と天皇賞・秋で連続レコード勝ち。

一番人気に推された第6回ジャパンカップと引退レースとなった第31回有馬記念は敗れたもののそれがより一層中距離に特化した才能を印象付けた。

繁殖後も中距離では歴代屈指のスピード馬の評価に違わぬ活躍を見せ、快速サクラバクシンオーを筆頭にサクラキャンドル、エアジハード、ウメノファイバーなどを輩出。内国産馬としては最も成功した一頭に数えてよい。


晩年のサクラユタカオーとは静内スタリオンS時代に1回、東静内の乗馬施設で3回対面した。

小高い丘の上にある施設のさらにその中で一番高い場所にいつもいたユタカオー。

自然すらがその風景の邪魔をすることが許されないかのような場所で余生をノンビリ過ごしたユタカオー。

黄金色の誇り高き馬体を忘れることはないだろう。

ご冥福を祈ります。


しかし相次ぐ高齢サラブレッドの死…

内地並みだったという今年の北海道の猛暑…

人間ですらしんどいという寒暖差が生じているとのことでこの秋、嫌な予感はあったがこうも続くとは…



内国産の星・在りし日のサクラユタカオー(2003年撮影)


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名馬達との再会 更新情報(10/11/24)
・区分変更(移動情報)を更新(2010/11/24)
テイエムプリキュア(現役→繁殖牝馬) ※コラム追加
エイシンドーバー(現役→乗馬)
ブロケード(功労馬→物故馬)

追加(24日夕刻)
サクラユタカオー(功労馬→物故馬) ※コラム追加



昨日更新したペイザバトラーの記事、大変多くの方に見て頂けたようで非常に嬉しく思います。
コメント、拍手などお寄せ頂いた皆様、ありがとうございました。

次回土曜日、過去に書いた記事ですが過去のジャパンカップにまつわるあの馬のエトセトラをUPします。




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ペイザバトラー~遥か彼方の地で
アメリカン・ドリーム(American Dream)は、アメリカ合衆国における成功の概念。均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取ることの出来るものとされ、その根源は独立宣言書に記された幸福追求の権利に拠る。(Wikipediaより転載)

**********

成功はどこに落ちているかわからない。ましてや本能的な行動以外侭ならないサラブレッドの成功にはその馬の意志とは関係ないところで様々な要素が絡み合うことになる。

今回紹介する馬はその絡み合った様々な要素が好転し、僅かなチャンスから成功を掴み取った…はずであった第8回ジャパンカップ優勝馬・ペイザバトラーにスポットを当ててみたい。



ペイザバトラーは1984年米ルイジアナ州にあるClovelly Farmsに生を受ける。父Val de l'Orne(ヴァルドロルヌ)は1972年のフランス産馬。1975年の仏ダービー馬であり、血統表を見渡してみても欧州の血が色濃く深い芝への適正があると思われたのであろう。競走生活は父が活躍したフランスでスタートすることになった。

だが欧州でのペイザバトラーは2歳から4歳春まで17戦して一般戦で挙げた2勝のみと一言で片付けてしまえば駄馬と呼ばれる部類に属する成績しか残すことは出来なかった…それでも4歳になってから勝利を一つ積重ね、重賞で掲示板に載ったバトラーに生まれ故郷のアメリカにトレードされ母国へ戻ることになる。

新しいオーナーはエドモンド・A・ガン。先頃引退した米の女傑レイチェルアレクサンドラの父メダグリアドーロ(02,03BCクラシック2年連続2着、04ドバイWC2着)のオーナーとして知られる。元々ガンはボビー・フランケル調教師と懇意にしていた。フランケルは走ると見た馬を欧州、オセアニアからトレードで持って来ることを十八番としておりこの名伯楽の目についた一頭がバトラーだったのである。

母国での初戦はベルモントパーク競馬場で行われたGⅡレッドスミスハンデ。ここでバトラーは恵量を活かし初重賞制覇を果たした。ベルモントパークとの相性が良いのか続くGⅠボーリンググリーンHでも2着と好走。またマンノウォーSではサンシャインフォーエヴァーに食い下がり徐々に頭角を現したのである。

フランケル調教師は現在に至るまで海外から最も多くジャパンカップに管理馬を送り込んだ調教師であり何と11度の出走を誇る。これは日本の藤澤和雄に次ぐ第2位の記録となる。第1回ジャパンカップにペティテートで挑戦し、前年もイアデスを連れて来ていた親日家がこの年のジャパンカップに白羽の矢を立てたのは、生粋のステイヤーであると見て長めの距離を中心に使ってきたペイザバトラーであった。

まだ外国馬優勢であったジャパンカップ。この年も凱旋門賞を制した欧州王者トニービンが大将格として参戦することになっていたが、日本にも確固たる王者と若武者がいた。前年から重賞6連勝を含む8連勝中の白い稲妻・タマモクロスと前走でタマモクロスにストップされたとはいえそこまでは同じく重賞6連勝をマークした地方から来た怪物オグリキャップである。前走天皇賞で連勝中の芦毛同士のハイレベルな対決がクローズアップされていたことでこの2頭なら海外馬を打ち破ってくれるのではないかという期待が例年以上に注目を集める要素となっていた。

日本の王者タマモクロスが1番人気、以下トニービン、オグリキャップと人気を分けバトラーは9番人気の評価にしか過ぎなかった。だがこの一戦に備え陣営が依頼した名手・マッキャロンが大仕事を見事に演出した。この男、伊達に一流とは呼ばれていなかった。海外勢以上にタマモクロス、オグリキャップを最初から相手と見て、両馬の持ち味を完封すべく大胆な手綱捌きで初騎乗ペイザバトラーを操る。かかり気味に先行したオグリと後方に控えるタマモクロス。バトラーはタマモクロスより前目につけ3コーナーから進出を開始し、前のオグリがエンジン全開になる前に捕らえていた。さらにバトラーとともに上がってきたタマモクロスの持ち味を封じるために内へ切れ込み馬体を併せることを拒む。これで勝負は決した。ペイザバトラーが目標を失った2着タマモクロス、遅れて伸びてきた3着オグリを尻目に先頭ゴールを果たしたのだった。

マッキャロンの好騎乗は勿論勝因のひとつだったが、日本の2強を封じたペイザバトラーそのものにも日本の馬場への適正があるのではないかと見たのが早田光一郎だった。早田は帰国後も現役を続けたが善戦止まりで勝ち星には至らぬペイザバトラーを引退後日本で種牡馬とすべく購入したのであった。

89年のJCに早田が出走させたかったのは同じアメリカ産のブライアンズタイムであった。リアルシャダイでロベルト系が成功したことを受けて前述バトラーのGⅠ制覇も阻んだ全米芝王者のサンシャインフォーエヴァーの購入を望んだが、オーナーサイドが手放さず、代替で購入したのがブライアンズタイムである。余談であるが90年代半ばに早田はサンシャインフォーエヴァーを購入したが失敗に終っている。ブライアンズタイムはトレード後に芝のレースを何度か走らせJCへの招待を狙ったが結果が出ず断念せざるを得なかった。そこで早田はバトラーを再度ジャパンカップに出走させることにした。

前年に続きマッキャロンで出走したバトラーだったが、まさに異次元の戦いとなった89年のジャパンカップ。イブンベイがハイペースでかっ飛ばし、それにホークスター、ホーリックスが絡み直後にオグリとスーパークリークが付ける超高速バトル。これだけのレースになると先行馬が潰れそうな気がするが、さすがに世界を代表する馬達のバトル。後続の脚をなし崩しに使わせたような形の先行馬決着でホーリックス、オグリキャップが世界レコードでのワンツーとなった。しかし後方からレースを進めた組から唯一伸びてきたのはまたもバトラーであった。連覇は逃したものの堂々たる3着であり日本の馬場への適正は疑いのないものであることを証明したのであった。

翌90年一杯まで現役を続けたペイザバトラーは91年、早田傘下のCBスタッドで種牡馬入りする。ブランドフォード系という異系の血が重宝されたのか種付け頭数もそこそこに確保され、競走馬として最高の輝きを放ったこの日本の地で新たな夢が始まるはずだった…

しかし最期はあっという間に訪れた…
1991年7月1日、放牧中の事故で左後肢靭帯を切断…診断は予後不良で安楽死処分となった…
残した産駒は僅か1世代のみ…

その僅か1世代の中にパルブライトがいた。やや晩成気味でありながら地方の東京3歳優駿牝馬(現2歳戦)を制し、古馬となり大井記念勝ちなど本格化の気配を見せ出した頃に中央へ移籍、新潟記念と函館記念を制した。派手な勝ち方こそしなかったものの確実な末脚と勝負根性に溢れた1頭は、ペイザバトラーの種牡馬としての成功を妄想することを禁じ得ない。

運命に逆らうことは出来ない…
しかし競走馬としての2走と種牡馬としての1世代という実績しかないが、ペイザバトラーは遥か極東の地でアメリカンドリームならぬジャパニーズドリームを掴みかけた1頭であったと言ってもよかろう。



追記:
ガンは今年2月、フランケルは昨年11月にこの世を去りました。そして早田は例の事件のお務めを終えた頃かと思います。
あれから20年、時は行き人の姿も変わり…
時の流れを感じます…



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メイショウテゾロ~箱の底に隠された最後のお宝
週4回のブログ更新は少々辛いなと思いつつも、病弱な身体に鞭打ってもう一丁 ><

来週は過去の下書き記事を引っ張り出しての予約投稿だけにした報いでしょうか…

まぁ基本は水曜に行われることが多い地方競馬の大レース前日となる火曜日と中央を睨んでの土曜日の週2回更新を目指しているブログでございます…



今週末は第27回マイルチャンピオンシップ。

初代王者があのニホンピロウイナーなんだからまだ歴史の浅いGⅠと言うと管理人のオッサン度が明らかになってしまうだろうか。。。

ニホンピロウイナーの世代は話が通り易いクラシック勝ち馬で表すと、所謂ミスターシービー世代。

この世代が当時でいう5歳、今でいう4歳になった年に、日本競馬にグレード制が導入され距離体系が整った。

即ち日本競馬の近代化はその年に新設されたマイルチャンピオンシップと一致するわけである。

普段その競走が第何回であろうとあまり気にすることはないであろうが、マイルチャンピオンシップの回数だけは競馬ファンとして意味のある数字だということは覚えておいて損はない。

新しいファンの方、これ豆知識ですw



この10年を見ていると1番人気が4勝とはいえ、何となく押し出された1番人気馬の勝利といった感が否めず、予想の難しいレースになってきたのかなと思う。

しかしそれ以前は石コロより堅いGⅠとして知られていた。

なんと、第1回から第11回までは1番人気が全て連対していたのである。

それが突如として崩れたのが1995年の第12回だった。

昨日訃報をお伝えしたドージマムテキも出走したこのレースを制したのは、4番人気・トロットサンダー。

生涯1600m戦無敗のリアル・マイラーであり、当時はOP特別までの実績しかなく2000m級の重賞で着外に沈むことが多かったせいかさほど人気はなかったが、人気2頭はスプリンター色が色濃いと感じていた管理人。

このブログや本サイトでも度々触れているようにスプリンターとマイラーは全く異質のものという持論を展開する管理人はトロットサンダーがこのレースの堅軸だと確信していた。

トロットから念入りに流したつもりであった馬券を握り締め、少々寒々とする初冬の風除けと座席確保だけのためのE指定席から府中のターフビジョンを見つめた。



結果トロットサンダーは格違いと言ってもいい着差以上の完勝だった。

だが私は馬券を獲ることは出来なかった…

2着に来た馬が私の想像の範疇ではなかったからである…

実際この馬より人気薄の馬(スーパープレイ)は購入していたので人気がどーので購入しなかったわけではない…

本当に想定外で、結果がわかっている今、同じ新聞を見せられて同じ結果が出るとわかっていても買えないと思ってるくらいだ…

その馬こそメイショウテゾロであった。



現役時代柴田政人とのコンビでKJ&QESに挑みジャパンカップにも出走し、日本で種牡馬入りしたアサティスの初年度産駒。

亡くなった今でこそダート向きのパワー馬で且つ一度調子に乗ると好成績が続くも、何かのはずみで歯車が狂うと惨敗が続くまさにムラ馬というのがアサティス産駒の特徴と明確であるが、当時は初年度ということで全く未知数であったわけで…

当時を知るファンでもなければ名字すら読めないのではないかと思われる上籠騎手(うえごもりと読みます)とのコンビでデビューから3連勝、シンザン記念では人馬とも初かつ最後となる重賞制覇を果たす。

だがアーリントンカップに大幅な馬体増で臨み敗退を喫してからはちぐはぐなレースを続け掲示板にすら載れない…

見せ場もなく豪快に負け続ける?テゾロの評価は一介の早熟馬であろうと固まりつつある中、迎えたのがマイルCSであった…

んー…

今YouTubeで再確認してるんだが、やっぱりわかりません…

噂には聞いていましたが、本当に杉本節がどこか狂ったように勝ち馬トロットより2着テゾロを強調しているんですねぇ…

何で来たんでしょうか?

確かに気分よく走っているようです。

トロットサンダーに外から併せる形で進出し、決め手と反応の差でトロットには完敗してるんですけど、最後に勝負根性出してるんだか、スプリンターであるヒシアケボノが垂れているんだかでとにかく前を捕まえてるんですね。

でも…

やっぱりわかりません…




ここは強引な競馬を超えた御伽話的な解釈を適用したいと思います。


Tesoroとは宝を意味するイタリア語…

その宝箱は実に見つけ易いところにありました…

中には宝が3つ入ってました…

宝箱を引っ繰り返して3つの宝を取り出した時点で空っぽのはずでした…

でも本当の宝は箱の底に貼り付けられていた地図…

途中に急坂がある淀というところの1600m先にあったとさ…

過去には宝など発見されたことがなく石コロしか落ちてないと思われてたその淀に落ちていた宝物…

それはそれはその当時で2番目に高価な宝物だったとさ…



以降見せ場もなく現役を終えたテゾロは三木ホースパークを経て福島の我妻厩舎に移動。

2008年10月17日に死亡した。

享年16歳であった。

少々若過ぎる死ではあったが、一介の早熟重賞馬では残せないようなインパクトある一走で名を残した彼の馬生は決して不幸なものではなかった気がする。



↓ニホンピロウイナー、トロットサンダーなど過去のマイル王達は本サイトに掲載されています。
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坂路の鬼が見た最後の夢が逝く…~ドージマムテキ死亡
1993年のクラシック戦線を賑わし、後年はマイル戦線の名脇役として活躍したドージマムテキ(牡20)が去る11月7日死亡した。

死因は現時点で調査不能だが直前までは元気だったとのことなので事故か何かではないかと推察されます。



坂路の鬼と呼ばれた戸山為夫が最後に管理したのが同馬である。

93年クラシック戦線で主役を務めたビワハヤヒデを共同通信杯で下したマイネルリマーク。

その共同通信杯前にリマークを子供扱いしたのがこのドージマムテキであった。

間接比較によりクラシックの主役候補に踊り出たムテキだったが、弥生賞大敗ですっかり評価を落とした。

戸山が直前に死亡し愛弟子小島貞とともに弔い合戦とされたダービーでは実質的なシンガリ負けを喫した。

その後管理人が虫唾が走るほど大嫌いな調教師の厩舎に移籍したドージマムテキはマイル~短距離路線に矛先を変更。

6歳秋に京王杯AH(当時の年齢表記とレース名)で念願の初タイトルを奪取、7歳暮れには海外重賞で2着など総じて善戦マンという評価が妥当なれど、ファンにとっては気になる一頭であった。

個人的に8歳以降の現役生活は下衆調教師によって遠征帯同馬を主にした走る労働者以下の出走をさせられていた印象が強いのがとても残念である。




引退後、一度だけ繋養されていた堂島牧場に行ったことはあるのだが、牧場主・スタッフさんとうまくコンタクトが取れず対面は叶わなかった。

どうやら相棒が今年の秋に対面しているようだが、そちらでムテキの晩節を感じていただければと思う→相棒のブログ


管理者がむかつくので馬券は殆ど買わなかったがムテキのファンとして、ネットの片隅で知った死はとても残念な思いで一杯です…

それ以上につい最近のように感じていたこの平成新三強世代の功労馬からも死亡の報が届くようになってしまったことがなお寂しさを募らせます…

さよなら、ドージマムテキ…

安らかに眠れ…


↓平成新三強など93年クラシックを賑わせた名馬たちは本サイトに掲載されています
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大往生、ブロケード
1981年桜花賞を制したブロケードが老衰のため11/16サンシャイン牧場で死亡した。

32歳の大往生であった。



管理人とブロケードとの唯一の面会は2007年。

インフルエンザ禍で混乱する北海道、しかも秋が深まりだしヒンヤリと冷たい雨が降る中であった。

当時も29歳と相当な高齢馬ということを割り引いても、凛とした立ち振る舞いに桜花賞馬の誇りを感じたものである。

現役時の一度たりともその手綱を手放すことがなかった主戦・柴田政人調教師が訪れた直後の死だったそうだ。

合掌。

在りし日のブロケード(2007年撮影)



このブロケードは亡くなる16日の段階で本サイト「名馬達との再会」における最高齢の現存馬であった。

これで本サイト掲載の現存馬で70年代生まれはハギノカムイオー1頭になってしまった…

↓ブロケードのコラムと写真はこちらから
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まだまだ続く女の戦い~レディースジョッキーズシリーズ&ロジータ記念
先週行われたエリザベス女王杯は英国馬・スノーフェアリーが圧巻の完勝劇を演じた。

高速馬場に欧州馬が合うイメージは全くありませんでしたが、日曜の淀のターフは良馬場にして良馬場にあらずとの状態。

外からの差し馬有利の馬場を意識し、外に持ち出す有力馬を尻目に堂々と荒れた内をまっすぐ縦に突いたアドバンテージはありましたが、それにしてもスローで4馬身差なら脱帽するしかありませんね。

ジャパンカップにも出走予定ということですから、BCターフを勝利したデンジャラスミッジが回避した分まで人気を集めそうです。

凱旋門賞で2着したナカヤマフェスタがいますが、ジャパンカップもどうやら女の戦いというのがキーワードとなるレースになりそうですね。




さて、女の戦いといえば今週は人馬とも地方競馬でイベントが組まれていますね。

人部門はレディースジョッキーズシリーズ。

地方とJRAの女性騎手の腕比べが本日行われる金沢での第1Rを皮切りに第2R・12/1名古屋、第3R・12/16荒尾と6レースで争われます。

ただメンバーは昨年とほぼ変わらないことを考えると、いくら騎乗馬が抽選とはいえ昨年大差で優勝を果たし、今年も重賞制覇などノリに乗る山本茜騎手の3回目の優勝の可能性がかなり濃厚な気がしますね。

中央所属でネームヴァリューは抜群の増澤騎手は実戦経験が明らかに足りないので、抗戦可能なのはやはりベテラン・宮下瞳騎手と毎年2位以上に喰い込んでる別府麻衣騎手くらいでしょうか。

ちょっと馬乗りさんに失礼な物言いになるかもしれませんけど、騎手という要素が競馬では小さくないことを思い知らされるのがこのシリーズという印象は否めません。




馬の方ではロジータ記念が川崎競馬場で行われます。

言わずと知れた南関東5冠馬である名牝・ロジータを記念して1990年に創設されて今年で21回目となる3歳牝馬限定レース。

今年からはSⅠ(昔で言うところの南関東GⅠ)という格付けになります。

創設当初は川崎競馬年間最終開催で行われることが慣例になっていた。

また同時に大井の東京大賞典の開催日が12/29に固定されるまでは暮れの南関東日程は川崎とどこか他1場で2場開催という割り当てになることが多かったため、年の瀬12/30や大晦日に行われていた。

春の天皇賞が昭和天皇誕生日開催となっていた時代を知るものとしては、何となく開催日が固定されているレースに妙な格を感じるもので、川崎を代表する名牝、いや南関東を代表する競走馬と言ってもいいロジータの名を冠するレースということも相まって、いつも年末の喧騒の中、川崎に足を運んだものである。

出走馬の顔触れとしては大抵毎年その年のクラシックを賑わした馬が一頭程度であとは上がり馬というパターンが多かったと記憶している。

且つここをステップに駆け上がっていく馬というよりは結果としてここが最後の晴れ姿となる馬の方が多く、その後に活躍した馬というとケイエフネプチューンやマキバサイレントくらいしか記憶にない。



いつの間にか年末から晩秋開催に移るようになってからは観戦も困難になり最近は全く見ていないレースであるが、2006年だけは観戦した。

ただしJBCの前座にされてしまったのがかなり悲しかった覚えがある。

格付け変更が南関東最強馬を冠したレースの復興になればいいのだが…





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襟裳の秋は花が咲く秋です♪~第22回エリザベス女王杯・エリモシック
2010年NHK大河ドラマの「龍馬伝」が佳境に近づいています。

坂本龍馬役福山雅治や若手俳優など一部の熱狂的なファンに支えられ好評な一面も見られますが、視聴率を見ている限り決して大成功とは言えないような気もします。

元々坂本龍馬をドラマ化したときに、ハッピーエンド寸前から一転暗殺という結末で終わることは中学生くらいになれば誰でも知っていること。

坂本に限らずとも幕末期の志士達は意思半ばにして天寿を全うすることが出来なかった者が大半を占めるわけで、数字は稼ぎつらいというのは昔から定説になっており、今回もそれを覆すには至らなかったというところでしょうか?



管理人は決して歴史好きというわけではありませんが、巷間の志向に全く反するかのように幕末史に関してのみ非常に興味を持っております。

大河ドラマ「新選組!」が放映されていた当時勤めていた会社の社長と酒席を同席させて頂いた際に新選組の講釈を延々と垂れ「オマエは講談師になれるな」と褒められたかどうかはともかくそんな言葉を頂いたこともあります。

元々が歴史的にさほど古くないため、史実が明らかになっている点が多いという理由から幕末史に興味を持つ私としては今回の龍馬伝、脚本的には最低と言わざるを得ません。

史実をあそこまで曲げて作るのであれば、早々に命を散らした志士達に似合うのは青春グラフィティ的な作りではないかと思うのですが…



脚本には価値なしという評価の今回の大河ですが、いくつか見事なキャスティングがあったことは認めております。

まずは武市瑞山(半平太)役の大森南朋。これは見事でした。

情熱的な革命家であると同時に闇の謀略家でもあった瑞山の陰陽二面性を表情だけで見事に演じ切ったという印象です。



それともう一人高杉晋作を演じた伊勢谷友介。

競馬ファンなら見た方もいるかと思いますが、帯広ばんえい競馬を舞台にした「雪に願うこと」で主演。失意のまま北海道に戻り兄の厩舎で働くことになる青年を演じた役者さんですね。

「雪に願うこと」では兄役を演じ、個人的に今や存在感日本一の役者だと思っている佐藤浩市に喰われてしまった感もあったんですが、この龍馬伝では、高杉の狂気的な情熱とそれに反するような知性を秘めた冷静さの両面を演じ分け、主演・福山龍馬を喰ってしまったと言っても過言ではなかったように思います。



高杉晋作は個人的に凄く好きな史実の人物なのですが、今迄自分の理想に当てはまる演技をした方はいなかったように思います。

主なところだと日本テレビ年末時代劇「奇兵隊」で松平健が演じた高杉はあの濃い目の松平さんの顔がちょっとオッサン臭を醸し出しすぎて晋作の行動力の源であったはずの若さみたいなものが感じられず、かなり前の大河「花神」の中村雅俊は、青春ドラマの雅俊さんそのまんまに情熱的な部分だけがクローズアップされた感じがしました。

中でも一番違うと思ったのは映画「幕末青春グラフィティ・RONIN坂本龍馬」の吉田拓郎が演じた高杉でしょうか…

あれは吉田拓郎がキャラ立ちし過ぎた暴れん坊将軍みたいな高杉でしたね…

坊主にまでなったはずの高杉の髪型がアンドレ・ザ・ジャイアントと同じってのはさすがにね…



いつも長い前フリが今日はさらの長い…

まぁ、タイトルの兼ね合いでもうだいたい察しは付いていると思います…

そう、この吉田拓郎を引っ張り出したかったのがこの前フリです…

さらに言ったら吉田拓郎というよりは「襟裳岬」を引っ張り出したかったんですけどねw

襟裳とエリモってことで…



もうここまで書いたついでなんで書いちゃいますけど、

「襟裳岬」は森進一のイメージが強いでしょうけど、作った拓郎が歌う「襟裳岬」はなおGoodです。




さて、ようやく辿り着いた本記事の主役、エリモシック。

父は欧州歴代最強馬と言ってもいいダンシングブレーヴ。

説明はいらないだろうが、シリウスシンボリが出走した凱旋門賞で弾丸のように最後方から飛んで来た馬である。

種牡馬入り後にマリー病を発症し、さらに初年度産駒が全く走らなかったことで日本にやって来た。

その輸入初年度産駒の一頭がエリモシックである。

輸入の経緯からそのネームヴァリューに反し、初年度産駒には良質と言えない牝馬が多く、頭数も制限されていたブレーヴ。



そんな状況だったからこの馬もデビューするまで全くと言っていいほど評判にはならなかった。

だが新馬2戦目を河内洋の手綱で勝ち上がり、次走はなみずき賞を強烈な捲りで快勝する。

いわゆる西の秘密兵器的にオークストライアルで1番人気、本番でも2番人気に支持されるが何れも惜敗に終わる。

期待された秋だったが、条件戦を1つ勝って臨んだ秋華賞でもファビラスラフィンを捕まえきれず、続くエリザベス女王杯は体調不良のまま出走で着外に敗退し休養。結局タイトルには手が届かず終いだった。



古馬になってからも冴えぬまま秋を迎える。

夏の札幌で的場均と新コンビを結成してから復調気配を見せていたエリモシック。

先行馬ペースだった府中牝馬S4着を経由し、古馬牝馬の本番、2度目のエリザベス女王杯に挑戦することになる。



的場に乗り変わってからのエリモシックは道中後方からというスタイルはそのままであったが、その仕掛けどころが明らかに河内が乗っていたときに比べギリギリまで我慢し直線に入ってからとなっていた。

捲りから完全な追い込み馬へのマイナーチェンジ。

一瞬しか速い脚がなかったエリモシックにはこのマイナーチェンジがプラスに作用したと思っている。



このエリザベス女王杯で人気を背負っていたのは同じ追い込みのダンスパートナー。

奇しくもエリモシックの前任である河内洋が手綱を取っていた。

同じ末脚自慢の標的に対し、ジョッキーきってのスナイパーと言っても過言ではなかった的場が取った戦法はこのダンスパートナーをじっくり見ながらの競馬であった。

今見返しても、ダンスパートナーが仕掛けるまでは意地でも仕掛けないという人馬の意思がはっきりと意思統一されていることが見て取れる。

両馬とも内ラチピッタリを進んだが、人気馬の宿命と若干長めの脚を使える強みを生かしてダンスパートナーが進出するが、エリモシックはさらに後方から進出して来た2頭に交わされてもまだ動こうとはしなかった。



エリモの仕掛けは直線、それもコース中央あたりにポッカリと穴が空いて進路が確保されてからだった。

ダンスは既に中団に付けていたがごちゃつく馬群を捌くために外へ持ち出す。

横に動いたダンスとまっしぐらに縦をつくエリモが馬体を合わせたが、勢いの差は歴然としており、エリモがクビ程前に出た。

あとは一瞬の脚を使ったお釣りしかなかったとしても、そのリードを保つことはエリモにも的場にもさほど難しいことではなかった。

エリモシックにとって生涯最初で最後のタイトルをもたらしたこの秋華賞は勝負どころの動き一つがどれだけ重要であるかを見せ付けられ、競馬をまた一つ理解出来たような一戦だった気がする。




君は二回目だよね エリザベスカップに
去年はいまひとつだったね
捨てられてしまった 河内さんだけを
ピッタリ マークして
やや早過ぎた 去年の仕掛け
想い出して 初タイトルだね
エリモの秋は 花が咲く秋です



うん、こんな替え歌は完全に蛇足だ。。。



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エリザベス女王杯・プチ展望…をしてみたが
もう2週間ほど前からでしょうか?

地元横浜ではAPEC開催のため、会場からは歩いて15分以上あるウインズ横浜近辺まで仰々しいくらいの警察官に溢れ返っています。

背中を見ると熊本県警やら愛媛県警、さらに検問では札幌ナンバーの車が止まっていたりで、こんなことでもなければ横浜には一生足を踏み入れないのではないかと思われる面々で横浜は大変なことになっています。

各国からお偉方が大挙来ているようですが、少なくとも私が世話になっている方はこの国の宰相も含めいませんし、地元民にとってはバスの行き先なども変更になったりしているだけの迷惑な話でしかありませんね…


さて競馬はアジア太平洋には一切関係のない英・エリザベス女王の名を冠した第35回エリザベス女王杯。

古馬混合になってからもう15回目なんですねぇ…

私の古い頭では当時でいう4歳牝馬の三冠目という印象の方がまだ強いですねぇ…


古馬混合になってから2年続きで同じ馬が連に絡むことが多く、その伝でいくと今年もテイエムプリキュアが何かやらかしちゃったりするのでしょうか?

JRA発表のプレレーティングを見ると明らかにスノーフェアリーが抜けていますが、海外馬特に英国調教馬が京都の馬場に合いそうなイメージはあまりありませんね…



いろいろ書いてみたが馬券を買ってないせいか、最近の競馬事情にはやはり疎い…

次回からはいつもの懐古バージョンで行きましょうね…


最後に先週の更新情報を一つ落としたので追加します

**********
名馬達との再会・更新情報

種牡馬移動先更新
・ダイタクリーヴァ


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名馬達との再会…にまつわるエトセトラ | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
名馬達との再会 更新情報(10/11/3)
・種牡馬移動情報を更新(2010/11/3)
カルストンライトオ
ゴーカイ
タイキシャトル
テイエムオペラオー
ヒシミラクル


更新情報は別名「ブログ手抜き更新」と呼ばれております…

ダイタクバートラムらしき馬の写真が見つかったんですが更新するかお悩み中…

ではまた来週 ノシ


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「名馬達との再会」更新情報 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
南関東中距離王者決定戦のおもゐで~グランドチャンピオン2000
日曜に行われた中距離王者決定戦といえる天皇賞・秋。

今年も牝馬・ブエナビスタが主役を演じ切りました。

中距離以上といえば牡馬の天下だったはずなのですが、2004年頃から牝馬中心のレースになった感がありますね。

牝馬出走がなかった2007年以外は人気馬または勝ち馬、馬券の対象馬に必ず牝馬が入っています。

原因は牡馬のレベルダウンなのか?牝馬のレベルアップなのか?

まぁ冷静に眺めてみたら両方なんですけどね。



さて明日11/3は地方・中央の垣根を超えた砂馬達の決戦の舞台・JBCが行われます。

例年は中距離王と短距離王それぞれが決定する瞬間が一日で見られるわけですが今年は船橋競馬場を舞台にし、本来行われるべき基幹距離からそれぞれ1F短縮された1800mと1000mで争われます。

JBCスプリントにはジェネラスの主戦として知られ、中央の短期免許でも何度となく来日しているアラン・ムンロ騎手の名前も見られます。

人気薄スリーセブンスピンへの騎乗ですが、外国人騎手短期免許来日制度黎明期を懐かしく思い出しますね。

そういえば同じ頃に来日していたリサ・クロップ騎手は、薬物違反で長期間の騎乗停止になったのですが、その後どうしているのでしょうねw



いつも前置きが長すぎますね。。。

リサやムンロが初めて来日を果たした1990年代にはまだJBCはありませんでした。

その代わりにこの頃は南関東限定ながらまさしく中距離王者決定戦に相応しいレースが存在していたのを皆様は記憶されておられるでしょうか?

その名も「グランドチャンピオン2000」

90年代中頃まで春、90年代後半は夏に行われていた帝王賞が中距離の代表レースでしたが、こちらは指定交流で行われておりイメージ的には宝塚記念に近く、暮の東京大賞典も南関東限定の時代は長距離レースであったため、南関東中距離王者決定戦は間違いなくこのレースでした。

レース名も相当大義いものでしたけど、賞金も地方競馬としてはかなり高額でその名に恥じないものが用意されていた。

管理人はこのレース、第2回以降は1年くらい飛ばしている可能性はありますけど、恐らく毎年観戦していたんじゃないかと思います。


特に管理人個人的な理由で特に記憶に残る回を挙げてみますと

・ウメノローザ一世一代の大駆け!(91年・第2回)
  娘・ウメノファイバーもオークスで大駆け見せましたね

・ホワイトシルバーの大捲り(93年・第4回)
  このレース、軸間違えたんですよね…しかも2頭軸で…
  2着が石崎・モガミキッカじゃなく的場・ハシルショウグンでも桑島・ビッグランサーでも良かったのに…
  ちなみにハシルショウグンはこのレース3年連続3着でした。

・南関東の新星・ツキノイチバン散る(94年・第5回 勝ち馬サクラハイスピード)
  この年は勝馬の印象より新星の死がとても悲しかったことを覚えています。

・ワイドがあれば…(第6回・96年&第7回・97年)
  この2年とも全く同じ馬で勝負していました…コンサートボーイ&カネショウゴールド…
  96年がカネショウ2着、コンサートボーイ3着、97年がコンサートボーイ2着、カネショウ3着でした…

・最後の勝者!マキバスナイパー(第11回・2000年)
  このレースのスナイパーの末脚すごいです。
  帝王賞以上にこっちの方がマキバスナイパーのベストレースじゃないでしょうか?



こんな感じでしょうか。

だいたい毎年ラストトゥインクル開催の中で行われるレースだったので寒かったのを覚えていますけど、いつもアツイ思いばかりさせられたレースでしたね><



1998年から東京大賞典が交流に相応しいように大井のチャンピオンコースである2000mに距離が短縮され、2001年からは地方競馬各場の持ち回りで同時期にJBCが行われることがになったため、グランドチャンピオン2000はJBCクラシックに併合される形で、2000年を以って僅か11回の歴史に幕を下ろしました。



交流指定競走が多くなるのは結構なことなんですけど、こういうローカル王者の決定戦みたいなレースも復活して欲しいものです。

「さぁ中央勢を迎え撃つ南関東王者○○○!」というのが明確になっている方が地方ファンとしては応援しがいもるというものですよね。


まぁ今年はクラシックに関してはハッキリと

中央を迎え撃つフリオーソ!

と言えそうですけどね^^


個人的にはボンネビルレコードとセレンにも抗戦を期待しています。
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