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名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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ダンツフレーム~燃え尽きる前に消えた炎
06年英2000ギニー(英G?)、06年クイーンエリザベス2世S(英G?)など重賞を制覇すること5回のジョージワシントン(牡4・父デインヒル)がいよいよクイーンアンSで復帰戦に望むことが決定した。昨年のBCクラシック(米G?)6着を最後に現役を引退し、愛・クールモアスタッドで種牡馬入りした同馬だが、生殖能力に問題があることが判明し、同父のホーリーローマンエンペラー(牡3)が急遽入れ替わりに種牡馬入りをすることで、現役復帰が決まった。これは海外ならではでJRAでは一旦引退した馬の復帰は認められていない。


今週行われる宝塚記念の歴史を辿ってみると、その一節に後にこの規定に泣かされることになるある1頭の馬の名前を見つけることが出来る…

宝塚記念といえば確かに一発屋イメージがあるG?ではあるが、たった一度とはいえ栄光の座を射止めた馬…しかしこれほど哀しく儚い運命を辿った馬を私は知らない…


ダンツフレーム…

その生涯を振り返ってみよう…


ダンツフレームは1998年信岡牧場で生を受ける。母はベガやノースフライトといった馬達と同世代のインターピレネー。信岡牧場といえば桜花賞馬ワンダーパフューム(父フォテイテン)を思い出してもらえば判る通り、あまり良血とはいえない馬からも走る馬を出している名門である。インターピレネーの父もサンキリコとはっきり言えば三流血統の馬であったが、信岡牧場からするとクラシックに歩を進めた期待馬の一頭ということで、ブライアンズタイムとの交配が実現した。

ブライアンズタイム産駒と言えば、天下の社台ファームが酷評する程馬体が良くない馬を出すことで知られている。事実BT産駒で社台に繋養されているのはタニノギムレットくらいしか思い浮かばない。ギムレットは社台・吉田代表が最初で最後に惚れ込んだBT産駒であり、事実2007年ダービーの父“娘”制覇という珍記録を打ち立てたことは記憶に新しい。

ダンツフレーム自身も覚えておられる方も少ないないと思うが、とてもとても後にG?を制するとは思えないほどの馬体の持ち主で、周囲の評価もマイル前後の距離で1つ勝てればと言われていたようである。

しかしダンツフレームは2歳戦を4戦3勝、そして明け3歳初戦で当時アグネスタキオン、ジャングルポケットらと並びクラシックの人気を背負うこと間違いなしとされたアグネスゴールドとコンマ1秒差のレースを、そして次走アーリントンカップで重賞初勝利を飾る。

ダンツを管理した山内師にとっては予想もしなかったダンツの快進撃…自身の口から「何故走るのかわからない」と発されることも度々あったほど最後までその馬体と血統から半信半疑で山内師は皐月賞への出否をギリギリまで決断できず、フランス遠征中の主戦・武豊を失うことになる。結果、藤田で出走したダンツフレームは異次元の存在であったアグネスタキオンには完敗するも、もう一頭の人気馬ジャングルポケットを押さえ2着に入線する。続くダービーでもクロフネがいた武豊は戻ってくること、アグネスタキオン、ゴールドという2頭のお手馬がリタイアし手が空いていた河内洋とのコンビで出走。ジャングルポケットの後塵を拝するもクロフネには先着して皐月賞に続く2着。ダンツはここまで完全連対を続け、ようやく王道に挑戦すべき馬という判断がされることになる…

しかしながら秋に挑んだ淀の3000mはこの馬に長すぎた…それ以上にダンツ自体の体調面に問題があったのかもしれない…4,5,5着で秋を終えたダンツフレームには早くも暗雲が垂れ込めていた…


古馬になったダンツフレームは京王杯SC、安田記念と勝ちには到らずも安田記念で3度目の銀メダルを獲得し、宝塚記念に歩を進めたのであった。同期のチャンピオンは不在であり比較的軽いメンバーであった宝塚記念だが、3歳で果敢に挑戦してきたローエングリンの果敢な逃げがレースレベルを低調なモノからそれなりのモノとした。そしてこの若駒を最後に捕まえたのはダンツフレームとツルマルボーイ…ゴールではダンツがクビだけ先着していた。

宝塚を制したダンツだがその秋は大敗続き…年が明けてからは陣営の迷走ともいうべき、マイラーズCを叩いて天皇賞…この2戦を4着、5着とすると、さらに何をとちくるったのか新潟大賞典に59kgのハンデで出走…ダンツはこれに勝利するも、イメージ的には災いしたと筆者は感じている…

安田記念と宝塚記念で敗走したダンツはその後脚部不安に悩まされ、ターフを去ることになった…しかし問題はこの後である…

元々好馬体の持ち主ではない上、血統的にも母父サンキリコと一流のそれではなかったダンツ…宝塚記念だけの勝ち星では種牡馬としての価値は低かった(後に伝え聞いたのはオーナーサイドが種牡馬入りの打診があったにも関わらず評価の低さに否の判断を下したとのこと…)
その間ダンツは行方不明になったとの噂が飛び交い、既に殺処分にされたのではないかという評判さえ立った。筆者もこの馬の行方を捜したが移動中という文字しか見られなかったので心配していたのだが、サプライズはダンツの引退発表から約1年後に起こった…

ダンツフレーム、荒尾で現役復帰!

このニュースを聞いてダンツが生きていたという喜び半分、その反面荒尾で復帰しても惨めなだけという思いも半分あった…

ダンツは荒尾での復帰戦を2着で飾った…いや2着はこの馬にとって惨敗といっていい内容であろう…元々荒尾では1戦のみで南関東・浦和への転入が決まっていたという話はその直後に聞いたが、荒尾でいくら1年以上のブランクがあったとはいえ敗退したダンツが高レベルの南関東でまともな走りが見せられる訳がないと直感した通り、転入後の3戦は3.1秒、6.5秒、5.2秒の負け…特に後ろ2戦(東京大賞典&川崎記念)は生観戦していた筆者はその惨状に目を覆うしかなかった…

引退…しかしこの南関東での惨敗はダンツの種牡馬への道を完全に閉ざすことになった…ダンツは那須にある地方競馬教養センターで余生を過ごすことが決定した。それでも紆余曲折あったJRAからの引退時に比べれば今度は行き先もハッキリし、惨めな競走生活を送るよりも少なくとも幸せな余生を過ごしてもらえること、それが筆者にとっての喜びであったのだが…


「2002年の宝塚記念の覇者ダンツフレーム号が2005年8月28日、繋養先の地方競馬教養センターで肺炎のため死亡。7歳だった。ダンツフレーム号はJRA通算22戦6勝の成績を残し、2004年に荒尾競馬を経て浦和競馬に移籍。今年の川崎記念を最後に引退、6月に乗用馬として地方競馬教養センターに転入していた矢先の悲報。なお、同センターでは敷地内に墓標を立てて、功績を称える。」


結局ダンツフレームに安息の日々は訪れることはなかった…
筆者が知る限り、近代のG?馬で一番哀しい馬生を送った馬であった…
死は運命である…
しかしダンツの“惨めな”死は人災だという人もいる…
筆者もそこまでは言わないまでも、どうにもこうにも人に振り回され続けた悲運の馬という記憶が、あの栄光よりも先に立ってしまう…


ダンツフレームの墓は僅か2ヶ月しか過ごすことが出来なかった那須の地にひっそりと佇んでいる…


今、何を思うのか、ダンツフレームよ…

キミは燃え尽きることが出来たのだろうか…?




















ダンツフレーム
鹿毛 牡 1998年4月19日生 2005年8月28日死亡
父 ブライアンズタイム 母 インターピレネー 母父 サンキリコ
競走成績 22戦6勝
2001年 アーリントンカップ(G?) 1着
2002年 宝塚記念(G?) 1着
2003年 新潟大賞典(G?) 1着





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