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名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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末脚三代記 シンザン~ミホシンザン~マイシンザン
高速ターフ全盛の現代競馬では安定した成績を残すためには好位につけて走れる先行が有利だ。

後方からの競馬は派手な反面、高速ターフを利して馬場の良いところを選びながらある程度の上がりタイムで走られてしまうと取りこぼしは少なくない。

豪快な反面リスクの大きい競馬となるが、逃げ馬とは全く違う一瞬に凝縮されたスピード感を味わうことは出来る。

大レースが一般ニュースで取り上げられる時にはほぼスタートとゴール前直線程度しか伝えられない。

昨年までのディープインパクト人気がここまで大きくなった理由の一つにはそういったニュースレベルでも爆発的なスピードが広く一般に映像として伝わったことと無関係ではなかろうと管理人は考える。


後方から鋭く伸びてくる馬を競馬的には切れる馬という。

その伸びが他馬に並ぶ暇を与えないほどの末脚であればカミソリの切れ味なんて表現がされることがある。

脚質なんてものは実際後天的なものであり、その馬の気性やら持ち味やらでどうすべきかが決められる。

だがかつて日本の至宝と呼ばれた血を引く一族が凄まじい破壊力を有した末脚を売りにターフを席巻した。



**********


5冠馬・シンザン

拙文で語れる馬ではない。

競馬評論家、一般のファンから語られ続けた日本競馬の至宝。

クラシック3冠と天皇賞、有馬記念を制し生涯に渡りパーフェクト連対は果たした成績の原動力は、先行している他馬にうめき声も出させないまま切り裂くように抜き去っていく爆発的な末脚。

その末脚を人はカミソリを通り越して“ナタの斬れ味”と評した。


残念ながら管理人はシンザンの現役時代にはまだこの世に生を受けていない。

競馬ファンになって何年もしてから昭和の妙にノスタルジックなモノクロ映像で見たに過ぎない。

VTRが高価で映像を記録とする発想にも乏しい時代だったから、残されている映像もシンザンの残した蹄跡からみればほんの一部で、我々の世代にとってシンザン=ナタの斬れ味というのは実際耳と活字メディアで伝えられてきた部分が大半であることは否定出来ないであろう。

当時馬券が購入出来た世代、還暦近辺の団塊世代以降の者たちにとっては“ナタの斬れ味”と御伽話にそれ程大きな差はないのかもしれない。


**********
繁殖に上がってからもシンザンはその斬れ味を産駒に伝えた大種牡馬であり続けた。
そして種牡馬としての晩年に最良産駒を残していった。



3冠馬・ミホシンザン

至宝・シンザン産駒ということで期待され、父同様に強烈な末脚を武器に無傷のまま皐月賞を制した。

この時点で親子3冠も夢ではなかったはずですが皐月賞後骨折が判明し、それは叶わなかった。

秋に復帰後、菊花賞を制し、5歳時こそ停滞しましたが6歳に最後の花を咲かせ、天皇賞親子制覇を果たす1勝を掴み取った。

この天皇賞後、疲労が激しいミホシンザンを察した主戦・柴田政人の進言により引退することになる。


父のように代名詞にこそなっていませんが、半端ない切れ者だったミホシンザン。

5歳時の停滞もあるが、シンボリルドルフに力の差を見せ付けられた4歳時の有馬記念が…

岡部がムチを入れ唯一ルドルフが全力を見せたレースとして知られていますが、敗者には様々な意味でダメージがあったようだ。


ミホシンザンは繁殖として成功したとは言い難い。

管理人持論として、骨折した馬というのはあまり繁殖で成功するイメージがない。

“痛い”という感情が遺伝子が伝わって産駒が本能的にブレーキをかけてしまうというのは極論だろうか?

トウカイテイオーがいるじゃないかと仰る方もおられるかと思いますが、テイオーもその実績&能力を繁殖成績との天秤に掛けたら決して成功した部類ではないと思う。


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ミホシンザン産駒の中に祖父や父と似て異なる何か異質の武器を携えターフを沸かせた一頭の馬がいた。

シンザンのイメージとは全く違うやんちゃな気狂い馬の匂いさえする孫が持っていた武器とは何だったのだろう?



マイシンザン

重賞2勝を制したものの大レースに縁がないまま終わった一般的には二流馬評価が妥当な馬ということになる。

しかし管理人はそう思っていない。


ただ、悲しいことにマイシンザンは全く折り合いが付かない馬だった。

ダービースタリオンみたいな馬ゲームにマイシンザンが出てきたら、気性のパラメータは最低のC…

というかさ気性-(評価不能)ってなってたりしてもいいかもしれない(笑)

暴走気味にかかるのはもはやレース定番。

レース映像見たらマイシンザンを見つけるのは簡単。

騎手の上下動が激しい馬、、、ハイ、マイシンザンで正解です…


だが折り合いがついて…、いや、残念ながらそれは一度たりともなかったので言い換える…

かからずに…、いや、これも見た記憶が…

…とにかくですね、折り合わなさ過ぎず、かかり過ぎず直線に辿り着いた時、マイシンザンは先頭に立つ勢いの馬をロックオンし、捕らえにかかる。

一度ロックオンしたらマイシンザンは捕らえるまで、いや捕らえてからも伸び続けて止まらない馬だった。


管理人は関東なので、初めてマイシンザンの名を目にしたのはシンザン記念だった。

シンザン記念にシンザンの子孫が出てくれば少なからず新聞の格好のネタとなる。

そんな話題性も手伝って新馬勝ち直後の格下ながら2番人気に推されたマイシンザンですがこの祖父の冠レースで大失態のシンガリ負け…

慢性のかかり癖に加えてソエなどでも悩まされていたようですが、それにしてもやらかした印象…


ダート戦を叩いて連闘で臨んだ条件戦において、関東の評判馬であったケイウーマン以下をかかり気味(気味は不要かも)の大捲りを駆使し4歳レコードのオマケ付きで一蹴したマイシンザンだったが、この後一頓挫あり親子三代制覇を賭けた皐月賞へはぶっつけの挑戦となった。

後に平成新三強と呼ばれるビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンはさすがにこの状態のマイシンザンが敵う相手ではなかった。

それでも直線だけで殿から9着まで着順を押し上げたのはさすがだった。


結果的にマイシンザン最大のパフォーマンスとなるのが次走NHK杯。

皐月賞で3着入線するも降着し、この一戦だけの約束で岡部とコンビを組んだガレオンが人気となっていた。

このレースで我々の世代は伝説であり、御伽話でしかなかった“ナタの斬れ味”を実際に目にすることになる。

いわゆるマシな状態のややかかり気味程度ながらレースを中団で進め、直線に向くとそこからは圧巻としかいいようがない内容。

皐月賞降着でダービー権利を失ったことで必勝を期したガレオン&岡部が抵抗すら出来ぬままその爆発的な末脚に飲み込まれた。

結局コンマ6秒差をガレオンにつけレースレコードでの快勝。

日本競馬至宝の血が目覚めたはずだった…


しかし日本ダービーの舞台でマイシンザンは別馬のようだった。

折り合ったといえば言葉はよく聞こえる…

だがあれは違うと確信している…

父ミホシンザンは体質、脚元とも強い馬ではなかった…

マイシンザンにはそれが伝わっていた…

デビューから一頓挫あった皐月賞前の2ヶ月休養はあるが、それを除けば使い詰め…

前走の激走も少なからずダメージが残っているように見えた…

着順だけ見れば5着とまずまずだったが、本来のマイシンザンの体調だったとは思えなかった…

案の定、この後熱発、夏負け、ついには屈腱炎を発症し、長期休養となる…

5歳で復帰したが見せ場もないまま、またも屈腱炎を発症し1年休養…


マイシンザンが復帰したのは95年・6歳秋だった。

朝日チャレンジカップ、この年は阪神淡路大震災で壊滅的被害を受けた阪神競馬場ではなく京都競馬場で行われた。

もはや忘れられた存在になっていたマイシンザンだが、この日のマイシンザンは落ち着きがあった。

レースに入ってもかかり癖は相変わらずだったが以前に比べれば大分マシ。

主戦・松永幹夫が馬に蹴られたダメージで休養中だったため、手綱を預かった関西の豪腕で知られる熊沢重文は乗りやすい馬だったとさえ述懐するほど…

休養でリフレッシュされたマイシンザンに折り合いがつけば怖いものは何もなかった。

先行有利の流れ&開幕週の馬場をモノともせず捲りながら進出し、最後の1ハロンでスプリングバンブーに並びかけると最後の1ハロンでグイっと力強く捻じ伏せてみせた。

競り合ったスプリングバンブーもいい脚を使っていたので目立ちはしないが、残り100m辺りで交わした一瞬の脚は際立っていた。

ビックリさせられたのはこのレースもレコード決着であったこと。

マイシンザンの勝ち星は僅か4つであるがそのうち3つまでがレコード勝利となった。

管理人はこの勝利で95年天皇賞・秋で一族三代の天皇賞制覇という夢が叶うかもという確信を抱いた。


次走毎日王冠はこの馬の血が持つ別の一面が顔を出す。

レース数を重ねていないため縁がなかったが、父ミホシンザンにとって最大の敵であった道悪競馬となったのである。

予想通りドがつくほどの空っ下手であった。

とはいえ明らかに重巧者であったスガノオージ、ドージマムテキという波乱の決着の5着は決して悲観的な内容ではなく、振り返ってみると良馬場で行われた天皇賞の連対馬となるサクラチトセオー、ジェニュインがそれぞれ4着、6着と間に挟まれたわけだからマイシンザンの天皇賞勝ちの予感がさほど的外れでなかったという裏づけになりはしないか?


ご存知の通りマイシンザンは天皇賞のゲートに入ることはなかった…

屈腱炎の再発…

出走確定後の悲劇に陣営は引退を決意した…

これで日本競馬の至宝といえる血による三代天皇賞制覇の夢は断たれた…


ナタの斬れ味と呼ばれた祖父シンザンや父ミホシンザンの末脚と比べ確実性に欠きながらも破壊力だけは勝るとも劣らないものを見せてくれたマイシンザン。

管理人はこの末脚を祖父や父が刃物に例えられたそれと異なり、精度が決して高いとは言えないミサイルのような爆発力と重ねた。

強いて刃物のような武器に近づけて言うなら トマホークの斬れ味 と言うのはどうだろうか?


インディアンの武器と思い浮かべるのも、ミサイルと思い浮かべるのもそれはそれぞれマイシンザンを体感した方の自由だろう…

トマホークの斬れ味がいつどのような形で振り下ろされる、または投げつけられる、それとも発射されるかは我々には理解不能の最終兵器だったのですから…



至宝の血はこれ以上繋がることはなかった…

マイシンザンは種牡馬としては致命的に産駒受胎率が低く、また当時のように内国産の血を繋いでいこうという気概よりもクラシックを取るためにはサンデーサイレンスに代表される輸入種牡馬をというのが当時の馬産地の主流となっていた…


ノスタルジックな血のストーリーは終焉を迎えた。

しかし管理人の記憶から消えることはないマイシンザン。

末脚三代記の最後を飾る主役に相応しい馬だったと声を大にしたい。



*********

※本記事は2007年5月22日に書かれたものです。この記事は主役であるマイシンザンとの対面が叶った時に公開しようと温存されていた記事です。一部加筆しましたが、基本当時の文章を生かしたまま公開致します。
よくこんな長い文章書いてたなと我ながら感心しましたわ…

天皇賞は明日でいいんですかね?
新たな血のストーリーが大舞台で始まるのかもしれません。

2010/10 管理人


↓シンザン一族は本サイトに掲載されています。こちらからどうぞ。
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