以前競馬評論家のアベコーこと阿部幸太郎氏が中山大障害コースに挑戦したことをブログで取り上げたことがある。→
こちらそれが先日日曜の中央競馬ワイド中継終了に伴うリクエスト企画の第一位となり、十何年かぶりにオンエアされた。
やっぱりインパクトあって管理人以外もよく覚えてるんだなと短い1~2分程のダイジェストを懐かしい気分で見ました。
日曜の当ブログ訪問者がどんな検索キーワードで来たかを調べてみたらこの関連が結構多かったし、それなりに反響があったぽいですね。
というわけで最終週の世間注目の一戦・有馬記念の前に今日は中山大障害の話題。
言わずと知れた障害最高峰のレース。
1998年迄は春秋年2回行われていたが、春が国際レースの中山グランドジャンプとして生まれ変わったため現在は年に1回となった。
かつての天皇賞同様に過去の勝利馬が再出走を認められていない時期もあったが、戦後になりそれが認められたため、数多くの連覇を果たした名ジャンパーが存在する。
平場にしか興味がない人でも聞いたことがある名ジャンパーといえばやはりグランドマーチスの名前が挙がるであろう。
障害馬唯一の顕彰馬であり中山大障害4勝を数える。
このグランドマーチスの4度目の優勝時の2着だったバローネターフは古馬になってから連覇→2着→3連覇とマーチスを超えるV5を達成している。
他に3勝以上を達成している馬には管理人でも良く覚えている1996年~97年のポレールがいる。
しかし大障害好きを公言している管理人の頭に最も焼き付く中山大障害馬は1992年の春秋連覇を果たした
シンボリクリエンスである。
決してクリ“スエ”スではない、クリ“エン”スです。
シンボリクリエンスは父モガミ、母父パーソロンと20年程前のファンなら誰もが9割方シンボリの馬、もし違えばメジロかなと思い付く血統。
平地でも期待され、事実新馬戦では1番人気に支持され中山ダ1800mの舞台で3馬身差の快勝を演じた。
その後も芝で2勝を上積みしたが、やや頭打ちの印象があった。
モガミ産駒はシリウスシンボリやメジロラモーヌに代表されるように溢れんばかりのスタミナと勝負根性を武器とし中距離以上を得意とする産駒が多かったが、その反面気性難が邪魔して出世を妨げる産駒も決して少なくなかった。
そんな馬が、豊富なスタミナを生かしジャンパーとして再起を図ることが多々見られ、数多くの成功例を出した。
モガミの主生産は共同購入したシンボリ牧場とメジロ牧場がメイン、言い換えるとシンボリ冠とメジロ冠がこの後暫く障害界を席巻するのである。
クリエンスはそのはしりとなる一頭となった。
障害入り後数戦はモタついたが、ジャンプに慣れてくるに従い、持ち前のスタミナを生かした障害馬としてはケタ違いである平地の脚を武器に徐々に大舞台で大暴れをする。
障害デビューから1年後東京障害特別(春)で重賞初制覇を果たす。
秋にも府中の直線で同じモガミ産駒のメジログッデンとの叩き合いを制し、東京障害特別春秋連覇を果たす。
暮れの中山大障害はやはりモガミ産駒の同じシンボリ牧場産・シンボリモントルーの後塵は拝したが、その翌年に更なる驚愕の走りを見せる。
1992年4月に行われた中山大障害(春)は8頭立てで行われた。
前年秋の勝者、シンボリモントルーが1番人気に推され、以下ワカダイショウ、クリエンスが人気となったが、3頭のオッズはコンマ3の中に凝縮されておりを含め殆ど差はない。
このレースは8頭中4頭が落馬という波乱のレースであったが、クリエンスは逃げたディビーグローをレース中盤で交わしてハナに立つと、後は一人旅。
大逃げという言葉があるが、このクリエンスの逃げは全く相応しい言葉ではなかった。
「付き合ってられないよ!」
一頭別次元でスイスイと他を引き離して、そのままゴールまで差を広げる一方のレースとなった。
結局2着シンボリモントルーとの差はなんと8.6秒。
着差表示では大差ということになるが、算出上は約50馬身差ということになる。
これは現在に至るまでまともに行われたレースでの最大の着差である。(記録上はやはり障害戦で1頭のみ落馬なくゴール、2着馬が落馬後再騎乗でゴールし、結果1分以上の大差がついたレースが存在する)
シンボリクリエンスと後続の馬を撮ろうと目一杯カメラを引いたモニター画像の虚しいこと…
海外ではセクレタリアトやマンノウォーなど伝説的な大差勝利がある。
日本でもマルゼンスキーの朝日杯における2.2秒差の圧勝などもあるが、実際にここまでの大差をリアルタイムで観戦したのは当然初めてで、見たこともない映像がシンボリクリエンスの名前とともに鮮烈な記憶として脳裏に深く焼き付いたことだけは間違いなかった。
この年の暮れ、中山大障害(秋)も勝ち、中山大障害同一年連覇の偉業を達成し92年の最優秀障害馬に選ばれたクリエンスは翌年の中山大障害・春を最後に引退し、引退後は馬事公苑で競技馬として余生を過ごした。
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