名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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カリブソング~条件不問の千両役者
年末に崩した体調がいまいち戻りきらぬまま三が日も明けてしまいました…

というわけで2011年は未だ一歩たりとも外出をしていません。

外出しないとなると正月を感じる手段はテレビくらいしかないのですけど、どこの放送局も元旦を除くとどうにもこうにも再放送番組ばかりの手抜き構成ばかり、しかも一日中やってやがるせいか正月風情を感じられないどころか時間の感覚までおかしくなる始末…

地デジ元年で張り切らなきゃいけないはずのテレビまでがこれでは今年の日本もダメ菅、もといダメ感がありますね。

せめて金杯でも獲っていい気分と行きたいところなんですけど、とりあえず明日も購入予定はなし…

金杯というレースは競馬界の仕事初めみたいなもので1/5固定の開催。

即ち平日に行われることが多いということで勤め人には普通なかなか縁のないレースなんですよね。

ただ私の若い頃はフレックスタイムなんて制度が流行っていたり、その後転職した会社はウインズまで徒歩2分、その会社にいる頃から高申込倍率だったはずのPATがほぼ誰でも無抽選状態で加入可になったってことで、昔から馬券の購入そのものには困ったことはありませんでしたね。

とはいえあまりリアルタイムで見たことがないレースの一つなのは間違いありません。

ということで普段はそのレースが一番印象に残る馬を取り上げることが多いのですけど、今日は金杯の勝ち馬を見渡してみて書いてみたいなと思った馬からカリブソングをチョイスしてみました。



カリブソングは1986年生まれ。

恐らく我々世代にとってはGⅠを取れなかった馬以外で思い出の馬を挙げろと言われたらBEST10くらいに入ってくる印象がある。

何しろ当時の年齢表記で9歳、現表記で8歳まで息長く重賞を中心に走っていた馬。(以下現年齢表記)

父マルゼンスキーはご存知「大外でもいいからダービーを走らせろ」で有名なマル外馬。

実際日本調教馬なので現在なら持ち込み扱いでクラシック出走は可能でしたから制度ともし故障していなければという“Wたられば”の菊花賞はともかくとしてダービーまでの2冠は間違いなかった快速馬である。

無念の引退後繁殖生活においてもダービー馬サクラチヨノオーなど5頭の中央GⅠ馬を輩出し大成功を収めている。

ただマルゼンスキー産駒はどうしても体質や脚元の弱さが付き纏うイメージは拭えないものがあった。

そこへ行くとカリブソングはその晩節はともかくとして、競走馬として長く走った印象から“鉄の馬”とか“無事是名馬”などと語られる。

果たしてそうだったのだろうか?

答えは否であると管理人は思っている。

それを裏付けるにはカリブソングの出走記録を見るだけでも明白である。

カリブソングは必ずといっていいほど一年の半分は休養に充てて、出走時も無理なローテーションを強いることは一切なかったのである。

事実この馬を管理していた加藤修甫調教師はカリブソングの四肢は全て競走馬不治の病・屈腱炎を抱えながらの競走生活だったと後に語っている。

カリブソングもまたマルゼンスキー産駒の特徴である体質と脚元の弱さを抱えていた馬であり、そんな馬がさも頑健な馬の代表のように語られる理由こそ、この馬に関わった全ての人達の努力の賜物であったはずなのだ。



そんなカリブソングの競走成績を振り返っておこう。

2~3歳春はまだ実がパンと入ってなかったようで折り返しの新馬を勝利したのみ。

3歳秋に復帰後はダート路線に進み、4歳春にダート重賞であるフェブラリーハンデ(もうこのレース名表記だけで泣けてきそう)で重賞初制覇を果たす。

また休養を挟んだ4歳秋にダート3戦で1,1,2着と力を見せた後、5歳を迎えたカリブソング陣営は芝路線へ矛先を向ける。

カリブソングはいきなり金杯(東)を制し、AJCCでも2着する。

次走目黒記念では何と60.5kgの酷量を背負わされるが、これをものともせず勝利する。

60kg以上のいわゆる酷量をクリアして重賞を勝った馬というのは私が馬券を買うようになってから思いつくままに挙げてみてもナリタトップロード、ダイタクヘリオス、スルーオダイナ、ダイナレター、そしてこの馬くらいしか思いつかない。(牝馬の58kgは牡馬で60kg相当とされドーベルとかヌエボトウショウが勝っていると思うのですが数字上のインパクト的に薄いため除外)

体質そのものがパンとしたことを証明する一走だったであろう。

続く日経賞でも2着し、淀の盾でGⅠ初挑戦を果たすが距離不適で大敗を喫し、そのまま休養に入る。

秋に復帰すると2度目のGⅠ挑戦となる天皇賞秋でマックイーンの降着と得意の重馬場にも助けられたが2着に入った。

だが良馬場で行われたJC,有馬は2桁着順の大敗。

ここらで芝のGⅠ路線ではタイム不足という評価が定まってしまうのである。

しかも一旦60.5kgで勝った実績があるため以降もGⅡ以下では重い斤量を背負い続けて走らねばならず、まさしくここからは年齢的な衰えと斤量、そして強いとはいえない脚元と相談しながらの戦いとなった。

5歳春の日経賞から7歳春までの2年間は得意の重馬場や坂のあり時計が掛かる中山では連対を果たすことはあっても、勝利の美酒に酔うことはなかった。



GⅠ勝利のないカリブソングがこのままで種牡馬になることは難しかった。

陣営は8歳の春まで1年の休養を取らせ、定量で争われる地方交流を主戦場にした。

既に老雄と呼ばれる年齢であった8歳にして初めての夏競馬。

カリブソングにとっては裸同然の斤量でも4戦結果は出せず、既に最後の勝利から22連敗。

カリブソングも終わったと誰もが思っていた。

だが老雄の逆襲は全く以って唐突にやってきた。

舞台は旭川ダ2400mで争われたブリーダーズGC。

砂の経験も長丁場の経験も十分の老雄はその能力を久々に発揮し先頭で復活の狼煙を上げたのであった。



だがカリブソングの名前を馬柱で見たのはこのレースが最後になった。



94年10月20日、アルゼンチン共和国杯を目指した調教中に心臓マヒを起こしたカリブソング…

天上までの道程は究極の坂であり、水分も豊富に含んでいたのであろう…

こんな時に限ってカリブソングは今迄に見せたことのない脚を使ってあっという間に駆け上がって逝ってしまった…



思えば名脇役に終わった馬生だったのかもしれない…

しかし人馬一体となった苦労と努力の結晶であったカリブソング…

そんな裏側を一切匂わせず、ファンにイメージを取り違いさせたままの終幕は名脇役どころか千両役者のそれだったのではなかろうか?…





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