名馬達との再会…にまつわるエトセトラ

HP「名馬達との再会」で紹介しきれなかった競馬あれこれを綴るブログ…
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2011年
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とりとめもなく2010年最終更新
2010年もあと1日。

年末に来て発熱に悩まされ、東京大賞典をスルーしてしまいました…

一応テレビ観戦はしましたが、スマートファルコンの澱みなきハイペースでの逃げ切りスーパーレコード勝ちは見事としか言いようがありませんでしたね。

大井競馬場のレコードタイムは結構長く残る傾向がありますけど、私が生きている間に更新されることはないのでは?と思わされるような限界タイムだったように思います。

兄ワールドクリークと兄弟制覇となりましたが、ワールドクリークが一過性のピークだったのとは違い、こちらはもう少し長く活躍が見込めるのではないでしょうか?

鞍上・武も不本意に終わった感がある2010年の最後に胸のすくような勝ち方がよほど嬉しかったようで、ガッツポーズもいつもより派手だったように思います。

***

その武騎手は今S69勝に終り、海外遠征で日本を留守にすることが多かった2001年を除くとデビューイヤー以来の100勝割れでリーディングもベスト10に届きませんでした。

勿論ケガで4ヶ月のブランクがあっての数字なので、それ程恥ずかしい数字ではありませんが、3月に42歳と既にベテランの域に達し肉体的に下降しつつあるのは確かでしょう。

ただそれに取って代わったリーディングが武騎手より歳上の横山典騎手。

しかもこちらも頭蓋骨骨折などで2ヶ月の休みがあってのリーディング。

地方も併せた最多勝も2ヶ月ブランクがあった内田博騎手という現実を見ると他の騎手は何をしてたんでしょうね…

騎手は群雄割拠の時代に入ったのでしょうか?

***

群雄割拠と程遠いのが高知競馬。

赤岡修次騎手の2年連続勝率3割オーバーが確実な情勢です。

昨年の勝率3割は異常だと思いましたけど、今年は12月29日現在で39.1%、高知のみに絞ると40%超とほぼ10回乗ったら4回勝ってるわけです。

全国地方騎手リーディングでも堂々の3位。

高知競馬の開催数を考えたら脅威ですね。

今年は他にも地方リーディングトップの佐賀・山口勲騎手と金沢・吉原寛人騎手が勝率30%オーバー。

実にアッパレな活躍でした。

これからも地方競馬を面白くしてもらいたいなと思います。

地方の活性化なくして中央の発展なしです。

***

ヴィクトワールピサが勝利した有馬記念。

ブエナビスタの猛追も凄かったしなかなかの好レースでしたね。

僅か2cmの差で明暗が分かれました。

これでヴィクトワールピサの最優秀3歳牡馬は確定的になった感がありますけど、対するブエナビスタの年度代表馬は怪しくなったかもしれませんね。

これで年度代表馬にGⅠ数という単純な要素でアパパネが選ばれたとしても文句は言えません。

印象度でブエナになる可能性も否定出来ませんけど、本当に大きな大きな2cm差(+JCの降着)になるかもしれません。

まぁ明確に出た差なので致し方ないところでしょう。

***

この有馬記念が行われた26日夜には注目のテレビ番組が並んだのは記憶に新しいところです。

TBS系列が亀田祭り、フジ系でフィギュアスケート、テレビ朝日系では最後となるM-1グランプリとジャンルはまるで違えど、全て採点競技という不透明性があるものです。

私はリアルタイムでM-1、録画で亀田祭り、ネット速報でフィギュアという追いかけ方をしたんですが、世間の注目度を表す視聴率の順位としてはフィギュア≧M-1>>亀田祭りとなったようです。(関西はM-1が僅かの差でフィギュアを上回った模様)

まぁ世間の注目度とは別になるんですけど、私の追いかけ方も酷いっちゃ酷いですよね。

ボクシングと漫才のどっちをリアルタイムで見るかって言ったら普通スポーツですよ…

実は管理人、ボクシングは後楽園ホールまで足を運んだことも何度となくあり、東京ドームでのマイク・タイソン来日の際も2回続けて観戦に行ったくらいのファンです。

輪島功一やらガッツ石松が現役だった子供の頃からのファンですから相当年期も入ってます。

ですから普通なら間違いなくこちらをリアルタイムで見ていたと思います。

ですが、今回の亀田3兄弟の試合には全く期待感がありませんでした…

別にアンチ亀田ではありません。

亀田興選手の日本人初3階級制覇という歴史的瞬間が見られる可能性もあったのですが、それ以上にマッチメイクの胡散臭さと最後の結末が予想出来たことがリアルタイム観戦を拒ませました…

名王者だった長男の相手・ムニョスには失礼な言い方かもしれないですけど、もはやセミリタイヤ状態でセレス小林をフルボッコにしたあの往時の迫力はないだろうと…

何より“採点競技”という書き方をしました。

そうなんです、ボクシングってそもそも採点競技じゃないはずなんですよ。

採点は副次的なものであって、ボクシングは倒すか倒されるかのところで争うから面白いはずなんですよね…

既に結果が出ていたフィギュアはさておき、それがM-1優先になった理由です。



しかしながらM-1にしても少なくとも3組くらいはこれが決勝出てくるの?と思いました…

さらに言えば漫才というジャンルでとにかく面白い奴を決めるって言うのがM-1のコンセプトだったはずなんですけど、漫才なのかなぁ?というコンビもいましたよね…

もし本当に漫才ってジャンルであればラジオで聞いててもある程度面白さが伝わると思うんですよ。

M-1は役目を終えたということで今年で最後でしたけど、今年の感じ見てたら終了は賛成ですね。



結局、今回の視聴率の順=注目度の高さに関係していたのは“採点競技”の透明度の順だったような気がします。

わかりやすさとか面白さとか美しさとか、詰まるところ単純なものが求められているのではないでしょうか?

そこへいくと2cm差でもキッチリ判定され勝敗が明確になる競馬っていうのは判りやすくていいですよね。



有馬記念の売上がとうとう400億を切ったようですが、判りやすい競馬の応援を2011年も続けていこうと思います。

ちなみに来年は大正100年にあたるそうです。

大正を基点に歴史が語られることは恐らく未来でもないと思いますが、情報文化、デモクラシー、恐慌と何かと現代を象徴するキーワードはこの時代に大きく発達・発展したもので、そんな時代から100年目という節目に感じるものもありますね。



2010年に復活した拙ブログに遊びに来ていただいた皆様、ありがとうございました。

身体と相談しながらですが、ボチボチに更新はしていきたいと思いますのでまた大正100年にお会いしましょう!





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名馬達との再会 更新情報(10/12/25)
・区分変更(移動情報)を更新(2010/12/25)
ザッツザプレンティ(種牡馬→乗馬)
デュランダル(繋養先変更)
マルカシェンク(現役→種牡馬)


ザッツザプレンティも種牡馬引退です…
余剰気味のサンデー系はサバイバル戦争さながら。
マルカシェンクも最後のSS直仔種牡馬ということになりそうですが、同様な争いが待ち構えています。



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サンエイサンキュー~It or She?
She is a horse.

中学校の英語テストでこう書いたらベケを貰うんだろうね。

It is a horse.

これなら正解かな?

確かに授業で動物には"It"を使うと教わった。

でもあれから20年経った今、管理人は堂々と"She"を使いたい。

20年程前、彼女に起こった命との戦いを思い出して…



サンエイサンキュー



父・ダイナサンキューは正直関東では馴染みがない。

1986年のデイリー杯を含めた3戦を全て完勝したものの、脚部不安を発症し底を見せないまま引退→種牡馬入りした。

その初年度産駒の中に小柄な芦毛の大人しい牝馬がいた。

この馬が生を受けた89年の前年、タマモクロス、オグリキャップによるいわゆる芦毛伝説の伝道馬達の活躍がありそれまで生産地に根強くあった芦毛は体質が弱く走らないというイメージは払拭されつつあったものの、若駒らしいヤンチャさがなく、むしろもっさりとした動きしかしなかったその馬は以前の悪い芦毛馬のイメージに取られても仕方なく期待されるわけもなかった。

だが1991年夏の札幌でデビューを迎えたサンキューは初戦こそ敗れたものの、連闘で臨んだ2戦目では後にダービーに歩を進めるゴールデンゼウス(もっともゼウスもこの時は人気薄)に5馬身差の圧勝をする。

さらにまさかの3連闘で札幌3歳ステークスにも出走するがニシノフラワーに圧倒され14頭立ての13着と大敗を喫する。

函館へ転戦するがクローバー賞も大敗し、2戦連続で大敗を喫した徳吉から東に鞍上をチェンジし出走した函館3歳ステークスでは14頭中12番目の人気にしか過ぎなかった。

だがこの日は天候こそ晴れだが前日降り続いた雨のため不良馬場。

後にわかることだが、実はこの馬、不良馬場に対する適正が非常に高かった。

持ち前の勝負根性ともっさりとした気性、いやここは大らかに周りの変化を気にしない大人びた気性と言っておくべきだろうか?これも悪馬場をクリアさせる後押しになったのだろう。

サンエイサンキューは2着に入線した。

ちなみにこの日中山で行われたセントライト記念で8枠レオダーバンが単枠指定されていたのだが、これがJRA最後の単枠指定馬。

裏開催に当たる函館開催では試験的に馬番連勝馬券を発売しており、函館3歳Sは枠連2060円に対し馬連は17100円ついた。

サンエイサンキューはJRA初の馬連万馬券の片棒を担いだ馬である。



北海道で5戦し、重賞2着で賞金を上積みしたこともあり、一息入れるのではないかと思われたサンキューだが雨馬場の府中に参戦し、マチカネタンホイザ、スタントマンなどをなで斬りにし、事実上の新設であるリニューアルされた3歳牝馬最強決定戦・阪神3歳牝馬ステークスへ向かう。

前走が評価され3番人気の支持を集めたサンキュー。

とはいえ西の雄・ニシノフラワーに挑む東のエースは藤澤厩舎のマル外・シンコウラブリイと見られていた。

だが本格化の気配を見せていたサンキューはラブリィとほぼ同じ位置からレースを進めると、早めに進出したフラワーを含めた3頭での壮絶な叩き合いを見せ、この2強に割って入ったのだった。



明け4歳を迎え賞金面で全く不安はないが、サンキューはクイーンステークスに出走し、快勝。

これで桜花賞直行かと思われたがなぜか牡馬相手の弥生賞へ出走。

この辺りからサンエイサンキューがデビューから全く休みなく使われているローテーションへの疑問が一部から湧いて来る。

弥生賞、桜花賞と掲示板を外す敗戦を喫すると、オークスに向け鞍上を東から田原に交代する。

ここまで来ると管理人もちょっとこのオーナーに守銭奴的な匂いを感じ始めた。

だが府中での良績に加え、鞍上田原もまだ天才と謳われていた時期で、いい感じに人気を落としていたサンキューはオークスで狙い目だと確信したまだ“馬券ファン”だった管理人はマイラーが人気となっている感が強かったこのオークスでサンエイサンキューから勝負することにした。

サンキューはイメチェンしたかのような後方待機から見事な末脚を炸裂させ、2着に入線。

アドラーブルとの馬連は10000円を300円程オーバーする万馬券となり、管理人初のGⅠ万馬券ゲットとなったのである。



万馬券を取らせてもらった馬って普通はその後応援する人が多いと思います。

だが管理人はそうなりませんでした。

札幌記念にサンキューが出走すると聞いてマジ?と思いました。

実際こういうローテーションで出走する馬はいるでしょう。

でもそれは一線級で戦っていない馬の場合だと思います。

サンキューは常に世代の最前線として戦ってきました。

既に社会人になっていた管理人はこの頃一番競馬雑誌や書籍を読み漁りテンポイントやキーストンの悲劇やらに詳しくなった頃、さらにサンキューが出てくる数年前にブームになったダービースタリオンという今なら誰でも知っているゲームが発売され、ちょっと過酷なローテーションを課すと悲しい音楽と共に予後不良の文字が躍るのを見ていたことなどから生じた他愛ない疑問でした。

札幌記念優勝、函館記念8着、サファイヤステークス優勝、ローズステークス2着。

この後エリザベス女王杯までの間に、オーナー、厩舎、そして田原騎手とサンケイスポーツの水戸、片山記者を交えた論争が発生します。

俗に言うサンエイサンキュー事件というヤツです。

詳しいことは他をググって貰えばわかるので省略しますけど、とにかくローテーションへの疑問を投げ掛けた田原の記事に水戸記者が絡み、その水戸の記事を批判した同僚の片山記者がサンスポを追われる事態となったのです。



エリザベス女王杯で5着に敗れたサンエイサンキューはオーナーの鶴の一声で運命の有馬記念に向かいます。

一石を投じた田原騎手から加藤和宏騎手に乗り代わりとなるのは最早必然でした。

後にこの時点で既に担当助手はサンキューのトウ骨は悲鳴を上げていたと証言しています。

それでも有馬記念への出走方針に変更はありませんでした。

中山の最後の直線までサンキューは頑張りました。

サンキュー自身はまだ頑張りたかったのでしょう。

でも脚は持ちませんでした。

競走中止…



予後不良の診断が下る程の重症でした。

でもサンキューはオーナーの要望により延命治療が施されることになります。

結局骨折から約10ヶ月後、サンキューは心臓麻痺で逝きました…



当時もう何だか訳がわかりませんでした。

私は本サイトのテンポイントの項でも書きましたが、馬の安楽死肯定派です。

生命を奪う行為を肯定するとは何事かと思う方もいるでしょうが、人間より細い脚で500kgもの馬体を支えるサラブレッドに地獄の苦しみを味わわせるよりもという感情が先に立ちます。

正確に言うとこのサンエイサンキューの死が尚更そういう思いを強くさせました。

このオーナーさんは未だに「競走馬はビジネス」と公言しているそうです。

つまりサンキューの延命に関しても「ビジネス」と割り切っているんでしょうね。



私が正しいことを言っているとは限りません。

オーナーの言ってること、やってることも間違っていることとは言えません。

田原騎手、水戸記者、片山記者に関しても誰が正しいと言えません。



でも一つだけ言えること。

オーナーにとってサンエイサンキューは

It's a horse.

だったのかなと思います。



そして私にとってのサンエイサンキューは

She is a horse.

なのです…



だから

Thank you!



Thank it!

なんて口が裂けても言いません…



様々なドラマと感動を生み出してきた有馬記念。

私にとっての有馬記念はこんな悲しい思いも内包していることだけは確かなようです。



今年は素晴らしいドラマが生まれますように…





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シンボリクリエンス~衝撃の50馬身差!
以前競馬評論家のアベコーこと阿部幸太郎氏が中山大障害コースに挑戦したことをブログで取り上げたことがある。→こちら

それが先日日曜の中央競馬ワイド中継終了に伴うリクエスト企画の第一位となり、十何年かぶりにオンエアされた。

やっぱりインパクトあって管理人以外もよく覚えてるんだなと短い1~2分程のダイジェストを懐かしい気分で見ました。

日曜の当ブログ訪問者がどんな検索キーワードで来たかを調べてみたらこの関連が結構多かったし、それなりに反響があったぽいですね。



というわけで最終週の世間注目の一戦・有馬記念の前に今日は中山大障害の話題。

言わずと知れた障害最高峰のレース。

1998年迄は春秋年2回行われていたが、春が国際レースの中山グランドジャンプとして生まれ変わったため現在は年に1回となった。



かつての天皇賞同様に過去の勝利馬が再出走を認められていない時期もあったが、戦後になりそれが認められたため、数多くの連覇を果たした名ジャンパーが存在する。

平場にしか興味がない人でも聞いたことがある名ジャンパーといえばやはりグランドマーチスの名前が挙がるであろう。

障害馬唯一の顕彰馬であり中山大障害4勝を数える。

このグランドマーチスの4度目の優勝時の2着だったバローネターフは古馬になってから連覇→2着→3連覇とマーチスを超えるV5を達成している。

他に3勝以上を達成している馬には管理人でも良く覚えている1996年~97年のポレールがいる。

しかし大障害好きを公言している管理人の頭に最も焼き付く中山大障害馬は1992年の春秋連覇を果たしたシンボリクリエンスである。

決してクリ“スエ”スではない、クリ“エン”スです。



シンボリクリエンスは父モガミ、母父パーソロンと20年程前のファンなら誰もが9割方シンボリの馬、もし違えばメジロかなと思い付く血統。

平地でも期待され、事実新馬戦では1番人気に支持され中山ダ1800mの舞台で3馬身差の快勝を演じた。

その後も芝で2勝を上積みしたが、やや頭打ちの印象があった。



モガミ産駒はシリウスシンボリやメジロラモーヌに代表されるように溢れんばかりのスタミナと勝負根性を武器とし中距離以上を得意とする産駒が多かったが、その反面気性難が邪魔して出世を妨げる産駒も決して少なくなかった。

そんな馬が、豊富なスタミナを生かしジャンパーとして再起を図ることが多々見られ、数多くの成功例を出した。

モガミの主生産は共同購入したシンボリ牧場とメジロ牧場がメイン、言い換えるとシンボリ冠とメジロ冠がこの後暫く障害界を席巻するのである。

クリエンスはそのはしりとなる一頭となった。



障害入り後数戦はモタついたが、ジャンプに慣れてくるに従い、持ち前のスタミナを生かした障害馬としてはケタ違いである平地の脚を武器に徐々に大舞台で大暴れをする。

障害デビューから1年後東京障害特別(春)で重賞初制覇を果たす。

秋にも府中の直線で同じモガミ産駒のメジログッデンとの叩き合いを制し、東京障害特別春秋連覇を果たす。

暮れの中山大障害はやはりモガミ産駒の同じシンボリ牧場産・シンボリモントルーの後塵は拝したが、その翌年に更なる驚愕の走りを見せる。



1992年4月に行われた中山大障害(春)は8頭立てで行われた。

前年秋の勝者、シンボリモントルーが1番人気に推され、以下ワカダイショウ、クリエンスが人気となったが、3頭のオッズはコンマ3の中に凝縮されておりを含め殆ど差はない。

このレースは8頭中4頭が落馬という波乱のレースであったが、クリエンスは逃げたディビーグローをレース中盤で交わしてハナに立つと、後は一人旅。

大逃げという言葉があるが、このクリエンスの逃げは全く相応しい言葉ではなかった。

「付き合ってられないよ!」

一頭別次元でスイスイと他を引き離して、そのままゴールまで差を広げる一方のレースとなった。

結局2着シンボリモントルーとの差はなんと8.6秒。

着差表示では大差ということになるが、算出上は約50馬身差ということになる。

これは現在に至るまでまともに行われたレースでの最大の着差である。(記録上はやはり障害戦で1頭のみ落馬なくゴール、2着馬が落馬後再騎乗でゴールし、結果1分以上の大差がついたレースが存在する)

シンボリクリエンスと後続の馬を撮ろうと目一杯カメラを引いたモニター画像の虚しいこと…

海外ではセクレタリアトやマンノウォーなど伝説的な大差勝利がある。

日本でもマルゼンスキーの朝日杯における2.2秒差の圧勝などもあるが、実際にここまでの大差をリアルタイムで観戦したのは当然初めてで、見たこともない映像がシンボリクリエンスの名前とともに鮮烈な記憶として脳裏に深く焼き付いたことだけは間違いなかった。



この年の暮れ、中山大障害(秋)も勝ち、中山大障害同一年連覇の偉業を達成し92年の最優秀障害馬に選ばれたクリエンスは翌年の中山大障害・春を最後に引退し、引退後は馬事公苑で競技馬として余生を過ごした。




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